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5年ほど前のことである。この年の春、僕は晴れて大学生になった。高校時代の担任に憧れ、高校の英語の教師になることを志した僕は、英語の教職課程があるS大学に入学した。
偶然の出会いは入学してすぐの学外オリエンテーションのときだった。同じ部屋の仲間の中に、小学校教諭を目指している一人の学生がいた。彼の名は、大前亮平(おおさきりょうへい)。部屋は各ゼミのクラスごとに分かれていたが、僕は彼と同じクラスとなり、お互い話しているうちに2人はすぐに打ち解けていった。
しかし、衝撃の事実を知ったのは授業が始まってからのことである。必修科目だった英語の授業のときだった。担当教員であるイギリス人講師が「お互いのことについて英語で聞き合ってください」と指示を出し、ペアでやりとりを始めたときだ。
亮平「When is your birthday?」
僕「My birthday is November10th.When
is your birthday?」
亮平「My birthday is November 11th.」
なんと、僕と亮平は誕生日が一日違いだったのだ。あまりにも偶然の事実に、お互い一瞬動揺した。こんなことがあるだろうか。もしかしたら、何かの縁なのだろうか。そう思うと、なぜか亮平が自分の兄弟のように思えてならなくなった。
それからというもの、僕と亮平は自然と親友となり、英語でのペア学習はもちろん、他の授業でのペア作業も一緒にやるようになっていた。そして時にはお互い悩みを打ち明けたり、自分の描く将来像を語り合ったり、勉強を教えあったり、映画を見に行ったり、食事に行ったり…そんな夢のような学生時代を僕と亮平はともに謳歌していた。
そうしているうちに、僕たちは大学3年生になった。1年後に教員採用試験を控えている僕たちにとって、一番大切な時期だ。
亮平「俺も絶対受かるように頑張るから、一緒に頑張ろう!」
僕「うん!僕も頑張る!」
僕と亮平はそう約束を交わし、採用試験に向けてお互い勉強を始めた。
志望校種は、僕は高校で、亮平は小学校。お互い接点がない目標だったが、問題集などを解いていくなかでお互いわからないところを教え合い、同時に教材研究も進めながら必死に対策を進めていった。
そして翌年、僕たちは採用試験を受けた。ところが結果は僕は一次試験不合格、亮平は一次は突破したものの、二次試験で不合格となった。
それでも僕たちは決して絶望しなかった。来年こそは絶対に合格しようとお互い心に決め、再び勉強し始めた。
そして卒業後、僕たちはついに教員免許を取得した。しかし、亮平は4月から臨時教員として採用されることになったが、僕は家庭の事情により教職を諦め、地元の葬儀社に就職することとなった。そう、僕には運が悪く、講師のお誘いがまわってこなかったのだった。
葬儀社に就職してからというものの、僕は教員への夢を捨てることは絶対に出来なかった。4年間1つの目標に向かって一生懸命勉強してきたのに、なんでこんな目に遭わなきゃいかなかったのだろう。そう思えば思うほど教壇に立てない自分が情けなく、悔しくてならなかった。そして、自分の中の悔しい思いと辛さを、亮平にメールで訴え続けた。
亮平は忙しいながらもメールを返してくれた。「そんなに辛いなら、辞めるのも手だと思うよ。そしてまた教員目指せばいいんじゃない?」
僕は思い悩み続けたが、入社して4ヶ月後、ついに葬儀社を辞める決断をした。仕事上のストレスもあったが、やはり教員になりたいというのが本当の理由だった。
それからひと月経った頃、教職同窓生の飲み会で、僕は亮平が採用試験に合格したことを聞いた。置いていかれたかと感じたが、学生時代のように明るく振る舞い、「おめでとう!」と声をかけ、かつての思い出などを語りながらお互い酒を酌み交わした。そして再び教員を目指すことにした僕はついに、今まで胸の内に秘めていたことを亮平に伝えた。
「亮平、君は僕にとって本当の兄弟のような存在だよ。」
実は亮平は一人っ子で、兄弟がいなかった。僕の告白を聞いた亮平は一瞬動揺したが、すぐに「ありがとう。そう言ってくれて嬉しいよ。」と笑顔で返してくれた。
それ以来、僕と亮平はたまにボーリングやカラオケ、食事に行っては学生の頃のように語り合った。教員になった亮平と、無職になった僕で立場は違っても、4年間培ってきた友情は決して変わらない。だって僕にとって、亮平は弟分そのものなのだから。
初めて出会ってから6年目になった今。僕は今でも、亮平を本当の兄弟のように感じている。
(終わり)
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