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 寒い。ぴーぴーうるさいかと思えば、数分前にぼんっ、という音を立てたのを最後に灯油が切れた。昼間はそろそろ花粉に泣かされる季節の訪れを感じるが、夜はやはりギャップを感じる。母がよく口癖のように「女の子は体を冷やすんじゃないのよ」と言っていたのを思い出す。しかし灯油が切れた。やる気なさげに横たえていた体を、悪態つきながら起こして恐る恐る廊下に足を踏み出した。板張りの床も凍えている。記憶の限りでは使い切っただろうと思いながら、期待の薄い希望を持って灯油缶を持ち上げた。軽い。灯油缶に残る数滴程度ではストーブは使えまい。眉間にシワを寄せて再び悪態をつくと、こんな時は寝るに限ると、布団へ潜り込んだ。  だがこんな時に限って睡魔は働いてくれない。というのも、実のところ疲労は一切溜まっていないからだ。仕事を辞めてもう3ヶ月が経った。いや、辞める方向へと誘導されて3ヶ月が経った。おもむろに脳裏に回想された記憶に、はたまた悪態をついた。いや、ひとまず心身のストレスからはある意味解放されたのだ。前向きに捉えるなら自由の身と言える。悪くない。  ただ今後の生活を回す必要がある。貯蓄はどれだけあっただろうか。先日通帳に記載した額を思い返したところで、何度目か分からない悪態をついて思考を放棄した。  真っ暗闇の中で、天上を見つめる。先日、タンスの奥底にしまい込んである督促状を見つけた。至って健康な体でめまいがしたのは言うまでもない。極めつけは昨日、差押えのお知らせがポストへ入っていたことだろう。この調子だと執行命令が下るのも時間の問題だ。  親の遺した古屋への愛着だけは、捨てきることができなかった。幾度となく捨て去ろうとした過去だったが、それらは全て、人生の根幹だったのだ。親の訃報に打ちひしがれてようやくそのことに気づいたのは、どれだけ親不孝だったのかと思い知る。  無気力だ。今、手元には何も残っていない。職もアイデンティティも、そのうち家という財産と共に大事な思い出まで失ってしまうのだろう。  悔しい。このまま何も残すことなく消えていくのか。虚しい。腹が立つ。今、持っているものは何だ。残っているものは何だ。強みは何だ。考えろ。考えろ。考えろ。  ——考えることができる。  がばりと布団から飛び上がった。寒さも忘れ、電気もつけず大学時代に手にしたノートパソコンを立ち上げた。起動時間すらもどかしい。  やってやる。元手がなくても、資格がなくても、これならできる。表現は自由だ。表現は無限大だ。表現は個性だ。  私だけの物語を、書いてやる。
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