126人が本棚に入れています
本棚に追加
ハロウィンの小話 ※同棲中のふたり
それは何とも唐突な宣言だった。
「澤くん。俺は今、お菓子を持っていません」
「ほう。…え?」
「お菓子を持っていないので、今が絶好のチャンスです」
「なんの?」
「さぁほら!今だよ!」
「なにが?」
ほらほらと楽しそうに、期待に満ちた瞳で両腕を広げる恋人は相変わらずちょっと…いやかなりおかしくてついていけない。何のチャンスなのか、多分訊いてもはぐらかされる気がする。
とある昼下がり。外はこれでもかと秋晴れの空が広がっている。そんな中、ソファーでぼうっとテレビを眺めていると後ろからやってきたハイテンションなへんた…藤倉に宣言されたのだ。でもさ。
「ていうか俺の気のせいじゃなければなんだけどさ、お前昨日めっちゃ大量にかぼちゃのマフィン作ってなかった?」
「作ってました」
「あれ…てっきり俺にくれるのかなって思ってたんだけど…。自惚れだったん、」
「澤くんあてに決まってんじゃん!!」
「うわ声でか…。びっくりした」
俯く暇もないほど全力で否定してくれたおかげで変な考えも吹き飛んだ。料理もお菓子作りも何気に上手いこいつが、先日はせっせと色んなお菓子を作っていた。そのテキパキした動きや黒いエプロンがすごく格好良く見えて、まるでパティシエみたいだなと俺はぼうっと眺めてたけど。たまに味見という体で色々ともらってたんだけど。
一瞬、俺以外の誰かにあげる用なのかなとか思っちゃった。やだなぁ、お菓子くらいでこんなん…。
こいつとそう短くない時間を過ごしてきて流石の俺でもこの感情が何なのか分かる。やきもちだ。
ハロウィンに洋菓子でなく立派なやきもちをやいてしまった…。あ、ハロウィンか。
なるほど、恋人の奇行の意味が分かってしまって俺はふっと吹き出しそうになった。なるほどなるほど。
家の中だし、仮装こそしていないものの俺の百面相をにまにましながら見守ってくるへんた…藤倉はわんこみたいだ。たまに言うことを全然聞かなくなる困ったわんこ。一応人だけど。
「で、お菓子持ってないんだっけ」
「うん、そう。だから言うなら今ですよ」
「ううん、どうしよっかなぁ。いたずらとか思いつかないし…」
「澤くんからのいたずらならなんでもウェルカム」
「えぇとじゃあ、日が落ちるまで口利かない…とか?」
「は?」
「あ、ごめんなさい冗談です、マジで怒んないで」
俺がちょっといたずら心を抑えきれなかったばっかりに…。藤倉は無表情を徐々に崩して「もうー」とぷんすこみたいな効果音がつく顔になった。美形の真顔は怖い。そして沈黙も。これも彼と過ごしてきて段々分かってきたことである。
でもこいつ、大体俺が何しても喜ぶんだよなぁ。嫌がられることっていうとさっき言った口利かないみたいな、そんなことくらいしか思いつかなかった。でもこれはやり過ぎというか、ハッピーではないな。だってハロウィンってハッピーなお祭りだもんな。
「悪かったよ藤倉。さっきのはその…俺も嫌だし、絶対やんないよ」
「良かったー。もしそんなことされたら無理やりにでも喋らせ…いやなんでもない」
「待って、今なんて」
「澤くんが言わないなら俺が言おうかなぁ。トリックオアトリート!」
すっごい不穏な言葉を華麗になかったことにして、彼はにっこにこ笑顔で遂に言った。とはいっても俺がお菓子を持っていないこと前提なんだろう。もうすでに手が腰のところに回っている。これっていたずらか?
そうはさせるか!
何もかもこいつの思惑通り、というのも非常に癪なので、俺はポケットから「ほい」と飴玉を差し出した。瞬間、藤倉の動きがぴたりと止まる。かわい…じゃなくて、マジで何も持ってないと思ってたんだなこいつ。
「澤くん、これは…」
「飴ちゃん」
「飴ちゃん」
「ものすごいたまたまだけど、後で食べようと思ってポケットに入れてたんだ。まさかこんな形で役に立つとは」
そう、本当にたまたま。意図せず、偶然に。俺もちょっとびっくりしてるくらいだ。
でも目の前で両手を上げてピタッと動きを止めている彼の顔の方が愉快だ。驚いていても格好良いなんて、俺の写真をよく撮っている藤倉の気持ちがちょっと分かった。ほんのちょびっとだけ。
「え、じゃあいたずらはなし?」
「飴玉はお菓子に含まれるからな」
「えぇ、澤くんは俺からのいたずらは欲しくない、と?」
「全部お前の思い通りってのはちょっと」
「えぇー」
「あぁ、でも」
俺はわざとらしく顎に手を当て、考え込む仕草をする。大量のお菓子が入っている冷蔵庫をちらりと見て、相変わらず両手を上げる恋人をじっと見て、にやりと口角を上げた。
「藤倉くんは今、お菓子を持ってないんだっけ?」
「…っ!ひとっつも!」
「じゃあ、トリックオアトリート!」
言ったのは俺なのに、どうしてか何を言う前に藤倉にホールドされてしまった。肩に顎が乗って、頬に髪が当たって。今朝も何か作っていたのか、ほんのりと砂糖のような甘い匂いが鼻腔を掠めていって。
あれ、ハロウィンてこんなイベントだっけ。俺の方がいたずらされるの?俺がするんではなくて?
「あの、俺がいたずらする方だと思うんだけど…」
「あぁ、つい。堪えきれなくて」
「…それとも、お菓子くれんの?」
「いや、俺は今お菓子を持ってませんので」
「ふうん」
ぎゅっとされたまま、ちらりとまた冷蔵庫に視線を遣る。きっと今晩はいつも以上に色とりどりの食卓になるんだろう。デザートまで食べきれるだろうか。一緒に暮らし始めてから分かってきたことだが、存外こいつはイベント事が好きだ。誕生日とか記念日も、何かにつけてはこうしてご馳走を作って俺を太らせようとする。そういうつもりじゃないんだろうけど、こいつのご飯が美味しくて食べ過ぎてしまうから気を緩めると太ってしまいそうなんだ。
筋トレ続けてるからそうそう太らないけどな!
「あのさ、マフィンはお菓子じゃないか?」
「マフィンはお菓子には含まれないから」
「いや絶対お菓子だろ」
「でも俺の手元には今ないからさ」
ちょっと抱擁を緩くして藤倉が顔を覗き込んできた。あ、これはいたずらする側の顔だ…。
「いたずら、してくれるんだよね?優臣くん」
「まぁ、善処する。…一織」
ふっと余裕綽々に微笑んでいた彼が、名前を呼んだ瞬間それだけでちょっと頬を赤らめたので嬉しくなってしまった。これだけでいたずら成功ってことになんないかな。なんないよな。
さて、これからどうしよう。とりあえず来年はもっとこいつを驚かせられるようないたずらを考えておこう。
来年も再来年も、何回も。
顔を上げると期待といたずら心とその他いろんな感情がどろどろに混ざった、赤みがかった瞳がある。
こいつをあっと言わせるいたずらなんて今すぐには思いつかないが、俺にしかできないことなら、まぁ。考えてやってもいいかな。
最初のコメントを投稿しよう!