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羞恥と怒り
「何で黙っていた」
「すみません・・・」
「理人・・・俺は怒ってるんじゃない」
「・・・・・」
目を覚ました理人は、黒瀬のマンションのベッドの中にいた。
身体はきれいに洗われて、真新しいバスローブを着せられていた。黒瀬はネクタイを外し、ワイシャツの袖を捲り上げていた。絞られた照明が、包み込むように理人を照らしていた。
「失神するまで我慢するには、理由があるだろう。最近様子がおかしいのは気づいていたが、お前が言いたがらないから」
「・・・脅迫・・・まがいのことを・・・」
「・・・何を餌に、あいつはお前を脅した?」
理人が押し黙ると、黒瀬はため息をついて、視線を合わせずに言った。
「・・・ウリ専のことか」
黒瀬の言葉に、理人の身体が急激に冷たくなった。指先が震え出す。
「理人。俺を見ろ」
ベッドに腰を降ろし、黒瀬は理人の顎を掴み向かい合わせた。怯えた瞳で理人は黒瀬を見た、唇が勝手にわなわなと震えた。
「どうして・・・知って・・・」
「あいつのPCだ。全部データごと杉山が消去した」
「す・・・杉山先生も知ってるんですか・・・っ」
「杉山は大丈夫だと言っただろう。それは・・・まあ後で話す。それより」
黒瀬は真剣な表情で、理人を見つめ言った。
「俺に知られたくなくて、こんなことになるまで黙っていたのか」
「・・・・・」
「俺がお前の過去を知ったぐらいで、捨てるとでも思ったか。だとしたら、ずいぶんと小さい男だな、俺は」
「一樹さん・・・」
「言っただろう、秘密のひとやふたつ、持っていて当たり前だ。俺なんか、ここまで来るのにどれだけ腹黒いことをしてきたかわからん」
黒瀬が教授選に勝ち残った経緯は、T大付属病院の伝説の一つと言われていた。数々の候補者を蹴り落とした若き教授は、恐れられ、敬遠された。
新人の理人の耳にも、同僚からその武勇伝は伝えられていた。
「それで・・・あの変態野郎、お前に何を言った?」
「・・・最初は、身体を触らせろと・・・断れば昔の動画や写真を院内のPC全部にばらまくと言われました・・・それがだんだんエスカレートして・・・」
黒瀬の眉間に深く皺が刻まれる。奥歯を噛みしめ、ぎりっと音を立てた。
「下衆が・・・っ」
「拒み・・・きれなくて・・・」
「・・・お前をそういう目で見ている奴がいると杉山から聞いていたが・・・まさかこんな行動を起こすとはな・・・」
「え・・・?」
「杉山がお前の様子がおかしいと連絡を寄越した。それで予定を早めて戻って来たから良かったものの・・・」
「すみません・・・」
「お前に怒ってるんじゃない」
黒瀬はいらいらした様子で髪をかきむしった。自分の腿を拳で叩く。
「俺は後悔してる。お前が欲しくて手元に置いたが・・・こんな目に遭わせるつもりはなかった」
「一樹さん?」
「お前を守れなかった・・・あんな最低な奴にお前を・・・っ」
「一樹さん!」
理人は黒瀬に抱きついた。黒瀬は驚いて、理人の背中に腕を回した。
「理人・・・?」
「一樹さんのせいじゃない・・・僕が怖かったのは・・・レイプまがいのことをされたことより・・・あなたに嫌われることです」
言葉と一緒に涙が溢れ出た。黒瀬にすがりついて、理人は溢れ出る言葉を次々と並べた。
「昔の汚い自分も見られたくないし、男なのにレイプされた身体を見られるのも、拒めなかった自分も、助けてほしいと言えなかった自分も、全部見られたくなくて・・・嫌われたくなくて・・・っ」
「・・・理人・・・」
黒瀬は優しく、何度も理人の背中をさすった。子供のようにしゃくりあげながら、理人はごめんなさい、と何回も言った。
「お前は悪くない。汚くもない。俺は・・・こんなことでお前を嫌ったりしない」
「一樹さん・・・っ気持ち悪かった・・・触られたところから腐っていくみたいで・・・」
黒瀬は再び唇を噛みしめた。腹立たしさで、眉がひとりでにつり上がった。が、俯いて震える手を握りしめる理人に、表情を緩めた。
丁寧な仕草で理人の身体をベッドに横たえさせ、黒瀬は尋ねた。
「少し休め。よく眠れてなかっただろう」
「はい・・・」
「明日仕事は休むといい。後のことは任せておけ」
「・・・はい・・・ありがとうございます・・・」
額にキスをすると、理人は幸せそうに微笑んだ。それから理人が完全に眠りに落ちるまで、黒瀬はベッドの側を離れなかった。
数日後、、麻酔科医の登坂は、理人に対するセクハラだけでなく、その他数人の個人データを悪用していたことも明るみに出て、解雇を言い渡された。
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