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あるパチンコからの帰り
男は激怒した。
ついさっき交換したパチンコ玉がもう無くなってしまったからである。
これというのも目の前のキラキラ光るうるさい箱のせいだ。この箱にはどうも魅力がある。特に青年とは呼べないが中年とも呼べないくらいの男性を虜にする魅力が。この男というのはちょうどその年頃であり、例外ではなかった。
どうしてこの台は金を吸い取っていくのか、と怒りが抑えられない。ただ、このまま感情に支配され続けていられるほど愚かな男ではなかった。この怒りを何とか理性で制御しようとする。やがて冷静さを取り戻した男は、「今日は運が悪かった」、と呟いて席を立った。
世の中には、怒りが頂点に達したとき、台にグーパンチをお見舞いする奴らもいるらしい。そんな人々を勝手に頭の中で思い描き、勝手に軽蔑する。男なら潔く負けを認めねばならない。なんてことはない、また明日挑めばいい話ではないか。
先ほどまで怒りで我を忘れる寸前だった男が言える話ではないのだが、男は過去のことは振り返らない。正確に言うと、都合の悪い過去は振り返らない。次なる戦いの誓いを立て、男は遊技場を後にした。
ところで、このパチンコ屋というのはつくづく人間の本能に語りかけてくる。
まずは嫌でも目に飛び込んでくる絵である。やれ筋肉の強調された兄ちゃん、やれ人型兵器、やれ胸部の目立つマーメイド。男の憧れとか、童心とか、性的欲求とか、そういうものを巧みにくすぐる。チカチカする眩しい光も、ジャカジャカうるさい音もよく出来ている。人間の五感というものは刺激物に弱い。というのも、そのような刺激は自然界にはそう簡単には存在しないからである。その刺激を受けたとき、人が覚えるのは好奇心か、はたまた警戒心か。どちらにせよ人間の中の動物性が興奮してしまうのは間違いない。
そのためパチンコという遊戯に関心が向くのは仕方がないのだ、そういう風に設計されてるのだから。むしろこれに興味がいかないようでは人間ではない、その点で俺は人間的である。男はそう思った。
男にはとある習慣があった。パチンコ屋の帰り道で口座残高を確認することである。その額が大きいときは心に余裕をもって遊びに行けるし、その額が小さいときはくっと歯を食いしばり、逆転の野望に心を燃やして遊びに行けるのだ。
パチンコに依存している、という自覚は男にはあった。しかし、依存者というのはあっという間に財産を溶かしきるものだ、とは思わないでもらいたい。仕事をクビになってからは腐った生活をしているが、この遊びを始めたとき男はまだ成人したてであり、その頃から「一日の限度額を決め、気が済むまでプレイするが上限以上は使わず、稼げたときは入金して、稼げなかったら舌打ちして帰る」というルーティーンを心掛けていた。今でもそれは変わっていない。そのため自分は計画的に遊べている、賢い大人そのものだ。そういう自負が男にはあった。
さて、いくら入ってるかな。と残高照会アプリを開くと――
243円。
これでは打ちに行けないではないか。
男は激怒した。
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