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決意
「夏目さんは、あれからどうしていたの?」
携帯電話から柔らかい声が響いた。
あの日、採血が終わった後、私は廣澤君と連絡先を交換した。
理解のある優しい夫と出会って結婚し、元気な二人の子供に恵まれたこと、夫の転勤で東京に住むようになり、子供の手が離れたのを機にクリニックで働き始めたことなど、順を追って話した。
「廣澤君は大学を卒業した後、東京で就職したんだよね?」
携帯電話を持つ手に力が入った。
保険会社に就職し、社内恋愛で結婚して娘さんが一人いること、七年前に離婚したこと、別れた奥さんと暮らす娘さんについて、仕事は激務で体調が優れず、社内健診でひっかかり、私の勤めるクリニックで再検査することになった経緯などを詳しく説明してくれた。これからの治療に関して、相談に乗ってもらえるとありがたいとも言われた。
接点のなかった年月を埋めるべく、話は尽きなかった。それはモノトーンのフラワーデッサンにどんどん色を足していく作業のように……。
昔の思い出話にも花が咲いた。しかし彼が当時、私のことを本当はどう思っていたのかは怖くてきけなかった。
廣澤君と再会してからは、毎日が恐ろしいほど早く過ぎていった。彼の血液検査の結果が思いのほか悪く、精密検査の為すぐ入院することになったからだ。手術の予定も既に決まっていた。
それからは、時々電話で連絡を取り合った。夢のような時間のはずなのに、毎回電話を切った後に、少し泣いた。
言えなかったけれど、ずっと心の片隅に廣澤君がいた。忘れられなかった。こんな形で再会するなんて、神様は本当に意地悪だ。
大病を患ったことのない彼は、表向きは元気があるふうを装っていた。しかし、私には彼が大きな不安と戦っているのがひしひしと伝わってきた。
廣澤君を全力で支えたい。出来る限りそばにいたい。もう時間がない。夫も子供達もきっと分かってくれるはずだ。彼はまた困った顔をするかもしれないけれど、後悔だけはしたくなかった。
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