桜の咲く前、菜の花が咲く頃。

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 お彼岸の時期になると線路沿いが一面菜の花で埋まる。まだひんやりとする春風に吹かれても、花同士がぴったりとくっついているため揺れようにも気持ち程度にしか揺れない。揺れているというか押し合っている。  ああ、今年もこの景色か。毎年毎年、花に囲まれたこの踏切をくぐってみようと試みる。しかし、けたたましい踏切音が近づくと怖気づいてしまい、ただただ菜の花を眺めるばかりになってしまう。臆病者だ。ここに立つのも何回目になるだろうか。また今年も、桜が散り、向日葵が下を向き、乾いた葉が落ちる姿を見届けてしまった。なんとなく生き延びていると四季は巡り春が来る。そして毎年、菜の花が咲きはじめると「そういえば死のうと思っていたんだった。」と思い出す。  何年か前の春、夢を諦めて実家に帰った。引っ越しに向け断捨離をしたら、手元に残ったのは数着の服と花瓶だけだった。この部屋で過ごした六年間がごみ袋に詰め込まれていた。私には捨てられない手紙や執着出来る思い出がないと、その時に気づいてしまった。集めたり貰ったりした物は沢山あったのに、無心で不要だけを考えてごみ袋に突っ込んでいた。賞を取れない作品はごみ。過信と自惚れが綴られた日記はごみ。不合格通知はごみ。六畳に散らばっていた、公共料金の催促状やとったことのない出前寿司のチラシも僅かな社会存在意義欲求を埋めるためにあっただけだった。気付けば、バイブルだと豪語した小説も、自分の名前が載ることのなかった文集雑誌と一緒に括り付けていた。五リットルのごみ袋に入った歪んだぬいぐるみと目が合う。薄汚れていようと彼らの方がよっぽど誰かの役に立つだろう。家を飛び出し夢を追いかけた青い若者は、気付けば熟れに熟れていた。自分は誰かに必要とされていると信じていたのに、その時の自分は誰にも必要とされていないどころか、何も必要とすることが出来ない冷たい人間になってしまっていたのだ。なんでもっと早く気づけなかったのだろう。頭からつま先にかけて影がどんどん深くなる。春なのに、深雪の夜よりずっとずっと深いものになった。年齢を重ねただけの六年間。努力の上に花が咲くというのが本当なら、私には努力が足りなかったのだろう。    踏切の手前まで来た。まだ日の光が高いのと、鮮やかな黄色が反射するのとで思わず目を細めてしまう。眩しさというのは鬱陶しい。日光に関わらず何だってそうだ。こちらの影の濃さが引き立つほどの眩しさや鮮やかさというのは、押しつけがましい。照らせば影は薄くなるとでも思っている。光が強くなれば同じだけ影も強くなると思わないのか。 「ポジティブに!明るく!」 この言葉の数々のせいで余計に自らの存在価値を見失ってしまうということは、光側と分かり合えない。強要されて見る前というのが果たして本当の「前向き」なのだろうか。 「がんばれ」 と言われると、 「ああ私は頑張れていなかったんだな。頑張ってきたつもりだったんだな。つもりは所詮つもり止まりなんだな。」 と自分の無力さや時間を浪費したことへの後悔が深くなる。ポジティブの押しつけは何も生まない。それで変われるなら楽であろう。私の周りには【普通の明るい人】が多い。幸せになって欲しい、明るくなって欲しいと私を照らす。最期の一瞬を迎えようとしているたった今でさえ、目の前に広がる菜の花が私を照らす。しかも、小さな花のひとつひとつが 「他のは黄色だけど、私は金色」 とでも言っているかのように眩しい。明るすぎる景色に怒りが湧いてくる。残念ながら君たちは黄色だ。みんな同じ。ひとつも金色なんかじゃない。どれもありふれた黄色。でも、この小さな花達の間で誰が一番輝いているか、太陽に向かっているかを競っている。花言葉にもあるように「競争」をしている。どの判断で美しいと言ってもらえるかなんて先が見えないのに、いつか自身のみに向けられるであろう賞賛を待ち望み、黄色く眩しく咲く。みんながみんな変わらないのに、金色を信じて咲き続ける。その真直ぐな姿は嫌味なほど眩しい。金色というのは、神様から授かった才能を持っていなければ手に入らないというのに。でも、小さな花達は咲いているだけで褒め称えられるだということを思い出した。それでもなお、花達は競い高めようとしているのだ。競うことから逃げた人間はもう既に存在価値などない。最後に菜の花に知らしめられた気がした。  うるさい菜の花に見守られながら、踏切に手をかける。見守られているのか、最期に向かい背中を押されているのか。小さなローカル電車が近づく。一車両の可愛い電車。今年は桜を見なくて済む。騒がしい向日葵だって見ないでいい。ああ。響きもしない心ばかりの警笛が鳴る。誰かに必要とされていれば、こんなことにはならなかったのにな。もう逃げないよ。菜の花が急ブレーキの風で強く煽られる。今までにないほど鮮明さを増した視界が広がる。上から見ると線路はこんなに続いていたんだ。意識が飛ぶ一瞬、あんなに鬱陶しい黄色のすべてが、優しい金色に見えた。ああ、君たちは黄色じゃなくて金色だったのか。皆が金色だったのか。そうか、そうか。競う事なんかないじゃないか。眩しさが羨ましかった。  このまま、生まれ変わったらここの菜の花になりたい。。
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