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2 熊と尼僧
――しかし、オーガストの眉間の皺が、完全に消えたわけではなかった。
3
「ダチェット伯爵」ともなれば、社交は仕事でもある。
けれども、オーガスト・ユースタスは、館に人を招くことを嫌っていた。
「気難し屋」と。
いつしか、そんなあだ名が付けられた。
気難しくしているつもりなど、本人にはさらさらなかった。
オーガストの眉間の皺は、ダチェット伯として、またスタンレー一族の長として、頭を悩ませる事々が引きも切らなかったために生じたにすぎない。
きまじめなオーガストが伯爵を継いだのは、まだ十八にもならぬころだったのだから。
なにより頭が痛かったのは、やんちゃ放題な双子の弟たちだ。
だが弟たちの厄介ごとも、どうにかカタが付き、オーガスト自身やっと三十を前にして、この秋、最愛のアンを妻に娶り、やすらぎを得たところだったのだ。
しかし、オーガストの眉間の皺が、完全に消えたわけではなかった。
オーガストの最後の心配のタネ。
それは、末の妹のリル……ユージニア・リリアンのことだった。
聡明にして慈愛にみちたオーガストの妻アンは言った。
「心配しないで、オーガスト。あんなに愛らしい良い子が、幸せになれないはずなんてないのよ。だって私が、こんなに幸せになれたというのだから」
僕を幸せにしてくれたよりも、君が幸せだなんてありえないよと、らしくもない甘い囁きを洩らしながらくちびるを寄せる夫に、伯爵夫人は言った。
「大丈夫、とにかく私に任せて頂戴、オーガスト。そら、その素敵な眉間の皺にキスをさせて」
なにを任せろというのか、正直オーガストには、いまだ皆目見当も付いていなかった。
けれど、突然連絡を寄こした古い友人の話をオーガストがした途端、アンがこう提案したのだ。
「そのご友人を是非、午後のお茶にご招待してね、私の旦那様。結婚式に来て下さらなかった方でしょう?」
むろん、家に客を招くのは好かない。
けれど、愛しいアンの願いをむげにできようか?
オーガストは、自らに問いかける。
それに、「彼」は特別だ。
古い、古い友人なのだ。
ダチェット伯としての重責にがんじがらめにされるよりもずっと前の、少年時代を共に過ごした特別な友。
そうはいっても、かれこれもう、何年逢っていないだろう?
オーガストは、過ぎ去った年月を指折り数える。
懐かしきわが友、「テディ」こと、セオドア・ウィリアム・バートラムとは……。
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