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「リリアン! 良い天気ね、リル」
ダチェット伯爵夫人アン・マリアが、ひだまりの中で両腕を広げて、リルを待っていた。
お辞儀をしようと曲げたリルの腕を掴んで引き寄せる。
「そんな他人行儀は、もうよしにして。ね? リル。今日はオーガストが古いお友達を連れてくるといっているの。テーブルに飾る花を摘むのを手伝ってくれるわね?」
リルが頷くのも待ち切れぬといった様子で、アンは庭へと歩き出した。
アンが、リルの兄であるダチェット伯オーガスト・ユースタス・スタンレー卿と結婚し、伯爵夫人となったのは、昨年の秋。
この庭は、極彩色の木々の葉でにぎやかに彩られていた。
オーガストとリルの両親は、早くにこの世を去ったから、アンの夫である現ダチェット伯は、若くしてこの家を背負ってきた。
そんなダチェット伯オーガスト・スタンレーは、社交界では長いこと、「気難し屋」として名をはせてきた。
ブルネットの目の覚めるほど美しい髪。
やや気取りがすぎているほどに整った鼻筋をして、背は高く、体躯は逞しい。
なのに、その眉間の皺は、めったに消えることもなく。
石膏像のように完璧な形のくちびるはといえば、厳しく引き結ばれたまま、けっして緩むことなどなかった。
そんなダチェット伯オーガスト・ユースタス・スタンレー卿の心を、とろかすとは……。
あの伯爵夫人は、どんな魔法を使ったのか?
それが、社交界における、この冬のもっぱらの噂だったほどだ。
アンは、決して不美人ではない。かといって、アンより美しい娘は、社交界にも数多くいる。家柄も、ダチェット伯爵に釣り合うような出ではなかった。
いいえ、ちっとも不思議なんかじゃない。
義姉さまを嫌いになれるひとなんて、いやしないわ。
アンに手を引かれ、庭を行くリルは、心の中でそうひとりごちる。
……誰の心も打ち解けさせてしまうのは、アン義姉さまの心が、誰にでも開かれているからなのだ。
リルは、今までそんな義姉を、ひどくまぶしい思いで見つめ続けてきた。
どうしたら、こんな風に素敵でいられるのかしら。
義姉さまは、素敵なのだ。
やさしくて、とても知的だ。
けれど、義姉さまにやさしくされるのは、ときどき、ひどくつらい。
まるで、まぶしい光に照らされて地に落ちる影のように、心が塞ぐ。それは自分のせいだ。そんな風に思うのは。
リルは小さく首を振る。
弱い心は捨てると決めたの。わたしはイエス様の妻になるのだから。
温室の花ではすこし興がそがれるわねと、アンが思案顔で呟いた。
光は眩しくても、まだ春は浅い。アンが満足するには、いまひとつ、まだ花が足りないのであろう。
ふと、リルは庭のひみつの場所のことを思い出す。
鬼アザミのしげみのなかに、可憐な蔓薔薇が群れ咲く場所のことを。
摘んだ花々をアンの手に託すと、リルはひとり、その場所へと向って行った。
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