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第15回 光村涼さん vol.22
久々に紹介の難しい回だった。
光村涼さんの文章から匂いを感じたといっても、それを上手く視聴者の方々に伝えるにはどうすればいいか考えた。
人間には個々の持つ原風景というものがあって、海とあればそれぞれの海があり、空とあればそれぞれの空があるものだろう。光村さんはそれを読者に想起させるのがおそらく上手い。だからこそ、私は光村涼さんの小説を読んで私の原風景を思い、匂いを感じたのだろう。彼女の作品は読者の鼻腔をやさしく刺激するのである。
配信でも話したが、匂いとは決して香りの良いものだけではない。私が注目しているのは人間の匂いだ。
どんな人間でも固有の匂いを発しているが、例えばAさんの匂いはある人間にとっては何も気にならないが、別のある人間には極めて不快に感じるということがあるのは周知の事実だ。
光村さんはこれまでどちらかと言えば、いい匂いや心地の良い匂いを描いてきたと思う。しかし『追いかけっこがおわったら』では女性の狡猾さと男性の闇を描いてみせた。
これは、例えばパイ包みのような料理を思い浮かべてみてほしい。外側のパイは実に甘く良い香りがするのだが、ひとたびパイを割るとその中身はドロドロで、酷い腐臭がするような構造だ。
人間は例え一緒に暮らしていて仲良く見えても、一皮むけば何を考えているかわからないのは、毎日のニュースを見れば明らかであろう。
しかしながら、人間というのは特に他人のパイの中身を見てみたくて仕方がない生き物なのかもしれない。不倫のドラマが流行ったりするのはそのためか。
ただし、不倫だとか浮気だとか金のような人間の欲望は、表面的なものに過ぎぬ。パイの中身の腐臭はそんな上澄みのようなものではなかろう。
身体の自由と精神の自由はそれぞれが独立していて、別個のものである。体を拘束しても心を縛ることはできないし、逆もまた然りで、いくら心を縛っても体が勝手に動くこともあるのが人間だ。
しかし光村さんは、体と心を両方とも縛られることが愛されることなのかもしれないと言う。私はむしろ逆の考えだったので、彼女の考に大いに興味を持った。
そして、ひとまず考えついたのが、光村さんも私も愛についての考え方は逆であっても、方向性としてはマゾヒストではなかろうかということだった。この点についてはここまでの言及に留めておく。なぜなら私はそれを小説で描きたいからである。
「匂い」からここまで話が発展してきた。打ち合わせと称して光村さんと色々話したが、実に楽しかったし、それは私に新たに考えることのきっかけを与えてくれた。
さて、現在パイの中身を描ける作家はどれくらいいるのだろうか。
ひとつ間違いないのは、光村涼は書くだろうということだ。
光村涼さん
https://estar.jp/users/332753696
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