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第18回郷海 希さん vol.26
作品にはどうしたって書いた人間の人柄が残るものだと思う。例えば作家が己を消そうと思って自分の人間性が表出されない文体で書いたとしても、やはりそれを完全に消し去ることはできないだろう。
作家の人間性は例えば登場人物の一挙一動に、物語の進行に、さらには行間に表れる。読者は敏感にそれらを感じ取り、だからこそ一人の作家を追う読者――すなわちファンになり得る。
郷海さんの作品からも、もちろん彼女の人間が垣間見られる。それを感じることは私にとって実に気分の良いものだ。
私は、郷海希さんは実は熱い人なのではないかと想像している。そうでなければ、生まれたばかりの赤子を胸に自転車を必死に漕ぐ父親など描けはしないに違いない。
また郷海さんは温かな眼差しを持つ方でもあるだろう。だから、やりたいことを自由にできる娘に嫉妬する母を描きながらも、その母は物語の最後には娘の愛のこもった言葉に落涙するのだ。
『星集めの庭』での、星を集める吸血鬼とみられる男は理想的な紳士だ。外見で人を判断せず、決して攻撃的にならない。親切でチャーミングであり、親しい者への距離間も絶妙で、このような人物も描けるのかと郷海さんの、人物を描く幅の広さに驚嘆した。
これらの例は、郷海希さんの備わった品性を表すほんの一部分でしかない。つまり郷海さんは、きっと実に複雑で立体的な構造を持った方に違いないと思う訳だ。
郷海さんの作品はどのジャンルであれ、安心して読める。それは書き手である郷海さんが落ち着いているからではないだろうか。余裕があると言い換えてもいいかもしれない。
これは、毎日忙しくて時間もなく全然余裕なんかございません、という物理的な多忙さを指しているのではもちろんない。それを言ったら郷海さんは間違いなくお忙しいだろう。
そうではなく、これまで積み上げてきた経験や決断が充分に消化され、人柄を構成する一部となり、そのことが人間としての深みや余裕となって表れているのではないだろうか。
冒頭にも記したが、作品には作家自身の様々な一面が反映される。そのときに表れる己の性格だったり嗜好を作家が御し、包み込んでいるかどうかは大事な要素だと思う。御し切れていない自身の内側を、他者に伝わるように描くのは至難の業だと思うからだ。
ウィッチシリーズはワクワクするほどの壮大な一大絵巻になるだろう。それを郷海さんはまだ書かれないとおっしゃる。リップサービスで「書きます!」などと言うよりも余程信の置ける言葉ではないだろうか。
彼女が書くときこそが、正しく物語の紡がれる最適な時に違いない。私はそれを心待ちにしようと思う。
郷海希さん
https://estar.jp/users/148991576
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