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A4の記録用紙に何か書き込みながら、所長は呟いた。嘆くふうでもなく、どことなく岸田の反応を楽しむようである。
「デイサービスのことですか?」
車を走らせて少し経ち、抱いた疑問を口にする。常に細かい振動があるのに、所長の筆跡は決して乱れない。
「機会を見つけて勧めてはいますが、聞き入れてはくれませんね」
特養に勤めていた頃、自分がやっていたレクリエーションを思い出す。あの通りのことが毎日行われているのがデイサービスなら、気が進まないのも理解できる。少し警戒心は強いようだったが、岸田に認知症の兆候は見られなかった。
「買い物に楽しみを見出してくれれば良いのですが」
「岸田さんって、いつもは外に出ないんですか」
「そうですね。買い物はヘルパーが代行しますし、外に楽しみもないようですから」
「それじゃあ健康に良くないんじゃ……」
あまり日当たりが良いとは言えない家で、日がな一日過ごしているのはいかにも不健康だった。
「そうですね、あの住環境ですから、外へ出るのも億劫のようです」
階段はすれ違いができず、かつ急角度である。加えて屋根がないので、雨が降ったら滑りやすくなるだろう。視力が落ちている岸田にとって、あの階段はけがのリスクに満ちている。
「どうしたら良いんでしょう」
独身で身寄りの無い、六十歳にも満たない人が、あの薄暗い部屋でずっと一人で過ごすのが哀れに思える。外に出たからと言って大きな変化があるわけではないが、歩けなくなるのが心配だった。
「気になりますか?」
「はい、まあ……」
所長はすぐには答えない。反応を楽しみ、じっくり味わっているようだった。
「私たちがするべきは、本人の望み通りにすることですよ」
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