【試し読み】うつせみ

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 八月、七連勤の業務終了後、更衣室で靴ひもを結んで立ち上がった瞬間にそれは突然やってきた。ぐわんと前方から殴られたような不意打ちの痛みである。それも、間断なく。  スクーターと電車を三本乗り継ぎ、職場から自宅まで一時間とすこし。  今夜の当直医を思い浮かべて、止す。やっぱり帰ろう。  日々のあちこちに引き返し不能地点はある。  頭痛はおさまらなかった。急遽途中下車して駅の救護室で休ませてもらい、駅員の気遣う声を振りきって、再び電車に乗る。  車両の自分以外のすべての人が輝いて見える。  一昼夜臥床しても、症状が改善する気配はない。頭の中で、小人が加速度的に地団駄を踏む。せめて軽快なタップダンスにしてくれないか。  嘔吐した。タクシーを待つ交差点でも吐き気を催し、よろよろと受診したクリニックの医師は、肩凝りからくるものですね、とさらりと診断した。  絶対に違う。全身で否定する。  考えるな、感じろ!  救急車を呼んだ。発症から時間が経ちすぎているせいか、医療従事者の哀しい性でエピソードを簡潔にまとめすぎたせいか、救急隊員の反応はどこかのんびりしている。  今日はお仕事お休みですかあ?  搬送された救急病院でもどことなく対応の緩さは否めない。  鎮痛剤の点滴を打ったら帰れそうですかね? あとから聞いた話だと、雰囲気が一変したのは脳画像を見た放射線技師が放った一言だったらしい。  これって…。  SAH[註]だった。  いつの間にか小人は静かになっていた。  奇しくも送り盆、魂を遊離させるわけにはいかない。  ベッド周辺がにわかに騒がしくなってきた頃、郷里の親に電話する。  なにしろ一刻を争うのである。伝えるべき人に伝えるべきことを。 (続きは『こわいはなし』にて掲載。全体1200文字)
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