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7
地獄の名物。三途の川、鬼、石積みの賽の河原、閻魔大王。色々あるが、那津は三途の川を渡らず、神様に縁のある桃源郷にたどり着いていた。
鹿島に連れられ、初めて見た三途の川は、想像していたほど怖い場所ではなかった。心配していたような恐ろしい怪物も住んでいない。
現世のどこにでもあるような川。
ただ人間の誰もが泳ぎに長けている訳ではない。足もつかない深さなら老人なら溺れるだろう。そもそもこの距離を普通の人は泳ぎ切れないと思った。現に橋の上から川を眺めると数人もがいている姿が見えた。
「あんなところ溺れちゃいますよね。向こう岸へ渡る前に死んじゃいませんか?」
「江深淵っていうの。罪の重い者が渡るところ。那津くん、忘れてるかもしれないけど、ここを渡っている人は亡者。死んでいるの。だから、溺れても、そこから岸へ着くまで何度でも泳がないといけない」
「怖いな……」
死んでからも、死ぬような思いを何度もする。自分も同じようにこの川を泳いで渡っていたのかもしれないと思うと身が震えた。
「その怖い場所で、那津くんも今日から働くんだよ?」
「が、頑張ります」
長く続く橋の上で鹿島と話していると、向こう側から金色の髪をした丈の短めの着物を着た男が向かってきた。肩ぐらいの長さの髪を横で束ねている。
「鹿島、その子が新しい人?」
「そう。佐山那津くん。三島も仲良くしてあげてね」
「へぇ……仲良くしていいの? よしよし。お兄さんが可愛がってあげよう」
那津の顔を右から左から珍しそうに観察すると、犬に構うように頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜられた。距離が近い。今にも唇がくっつきそうだったところを鹿島によって引き剥がされる。
「待って、いまの無し! 普通にして。それに、その子はミツキ様のお手つきだから手を出しちゃ駄目」
「え、ミツキ様の? どういう元、亡者なんだ?」
「今も亡者。裁判放棄して死者の国で働くんだって」
それを聞いた三島と呼ばれた男は目を瞬かせる
「ひゅー、やるじゃん。ひょろっとしてんのに現世でどんな罪業重ねたんだ?」
どうやら現世で悪いことを沢山したから、裁判も地獄での刑罰も受けたくないのだと思われてしまったらしい。
「えっと……」
那津が言いにくそうにしていると、鹿島は手を叩く。
「はい、そういう身の上話はもっと親しくなってからにしなさい。先にお仕事!」
鹿島が言うと、三島は那津が訳ありだと理解し納得したのか、それ以上しつこく尋ねることはなかった。
「まぁ、そうだね。死者の国で亡者が何もしないでいると、消えちゃうからお仕事は大事だよ。頑張ってね那津ちゃん? あぁ言いにくいな、なっちゃんでいい?」
「あ、はい、あの。貴方は?」
「三島。三途の川で働く懸衣翁です。そこの鹿島のツレ。河原で木に亡者の着物をかけて罪を計る仕事をしています」
「つ、つれ?」
「うーん。恋人なのかな? どう思う? 鹿島」
「そこは、自信持って欲しいけどなぁ」
三島は首を傾げて鹿島の顔を覗き込む。
「で、なっちゃんに何してもらうの?」
「とりあえず、船に乗ってもらおうかな」
鹿島は岸にある小舟を指差した。
「船を漕ぐんですか」
「そう。船の上から真面目に泳いでいない亡者を見つけて、棹を使って、川底へ突き落とす」
身振り手振りで教えられたが、そんな恐ろしいことが自分にできるとは思えなかった。
「あの、そ、それは」
「まぁ、最初からそういうのは、難しいでしょうしねぇ、船に慣れてもらう為に、定期船の船頭やってもらうかな。私たちは岸で亡者の罪を計ることで忙しいから、定期船動かしてもらえるととっても助かるわ」
「わ、わかりました。精一杯頑張ります」
頑張ると、ついさっき力一杯宣言したもののそう上手くはいかない。
浅瀬で棹をさしたら、その棹を引き上げる前に先に和船が進んでしまい、櫂を動かせば目的地とは逆に進みまったく思い通りに船を動かせなかった。
最初から全てできると那津自身思っていなかったが、自分がこんなにも役立たずだとは思っていなかった。
結局、慣れるまでは三島と一緒に船を動かすことになった。せっかく生まれて初めて、正しくは、死んで初めて仕事を手に入れたというのに、周りに迷惑しかかけていない。
「全然、前に、進まないね。なっちゃん、力無さすぎじゃない」
櫂を動かす那津の手の上に三島の手が添えられた。それほど力いっぱい動かしているわけでもないのに、三島が手伝うと船はまっすぐに前に進んでいく。
那津が不思議そうに三島の手を見ているとコツがいるのだと言った。
「す、すみません、死んだら病気も治るし、力も普通に戻るかと思ったんですけど、体力は生前と変わらないんですね」
「まぁでも、力は落ちたりはしないし、頑張ればすぐにできるようになると思うよ? ほら、なっちゃん、俺の手ばっかり見ていないで、櫂の動きを見て」
「はい!」
船の客には獄卒である鬼や十王庁へ向かう者が乗っていた。日に何度も川を往復し、ここで住む者たちの交通の手段として大切な仕事だと聞いた。
遠くまで歩けば、橋もかかっているので、そちらを使うよりも安全で早く楽でないと船がある意味がいない。そういう意味では、スピードが出せないし左右に揺れているうちは誰の役には立っていないし、そんな自分に落ち込みはする。
けれど、自分で何かしているという今の状況が那津は楽しくて仕方なかった。
「なっちゃん、ポンコツなのに楽しそうね」
そんな楽しさが顔にも出ていたのか目の前にいる三島に言い当てられた。
「えっと、役に立ってないのは申し訳ないんですが。楽しい、です」
「えー、仕事が楽しいの? やっぱり、那津ちゃんは変わってる」
「ここにきてから、何度も言われてます。私は変わっているんだって」
「仕事きついし楽しくないし? 万年人手不足の死者の国で働きたいっていうんだから、変わってても当然っちゃ当然なんだけど。まぁこっちとしては、なっちゃんがどんな変人でも、鹿島はすぐサボるし、なっちゃんが来てくれて嬉しいよ」
「本当ですか」
「本当本当、これからも仲良くしてね」
「はい!」
鹿島も派手な男だけれど、三島も負けず劣らず外見が派手だ。鹿島の場合、華やかという意味だが、三島は下界だと不良少年的な派手さだ。けれど、話してみると少しも曲がっていない。気遣いが細やかで、真面目で仕事も丁寧。人は見かけによらないのは本当だと思った。
「あとは、なっちゃんの仕事がもっと出来るようになると、もっと嬉しい」
「それは、が、頑張ります」
「うん。頑張ってね」
三島は、那津の頭をぐちゃぐちゃと子どものように撫でてくる。そうやってじゃれていると、鬼のお客さんに叱られた。
「おい、懸衣翁。新人の兄ちゃんが入って嬉しいのはわかるが、いちゃついていないで、船を進めてくれないか、こっちは急いでいるんだ」
「ごめんごめん。急ぐ急ぐ!」
三島は再び那津の手に自分の手を重ねて櫂を動かした。その櫂の先を見ていても自分の動かし方とどう違うのか、那津はやっぱりわからなかった。
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