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部屋の前に着いたとき、振り返った御堂さんとばちりと目があった。
「あれ、もしかして、秦野さん。まだ気づいていない? 眼鏡外しているからかな」
「え?」
きょとんとしている俺をみて御堂さんは、くすくすと笑う。
「そろそろ気づくかなぁと思ったのですが。猫山アプリケーションの秦野さん」
「え、な、なんで、俺の会社」
俺は自分の会社名は言っていなかった。オフィスに猫がいる会社というのは、珍しいかもしれないが、特定できるほどの情報を言った覚えがなかった。
「さっき店で言った取引先というのは嘘なのですが、秦野さんの会社のビルの一階にドラッグストア入っているでしょう? 私そこで薬剤師をしているんです」
「やく、ざいし」
「薬剤師といっても場所柄、忙しいので、私自身が店舗業務に出ていることもあって」
「あ……!」
種明かしをされて、やっと気づいた。
確かに仕事で行き詰まったときにはよく一階のドラッグストアに行っている。
ほぼ毎日習慣のように通っているので、お得意さんといっても過言じゃない。
買っているのは薬じゃなくて、お菓子と飲み物ばかりだが……。
改めてマンションの明かりの下で、よくよく御堂さんの顔を観察すれば見覚えがあった。いつもは眼鏡と白衣姿なので気づかなかった。
「秦野さん、よくお菓子買いに来てるでしょう。それで、会社の名札、いつも付けっぱなしだったので覚えてしまって。気をつけないといけませんよ。物騒な世の中ですから」
ちょっとそこまででも会社の名札をつけたまま外を歩いているなどセキュリティ的にアウトだ。
普段の生活のだらしなさがこんなところからも分かる。
「あ、全然気づいてなくて」
「早く言えば良かったですね。あ、すみません玄関先で、どうぞ」
「お邪魔します」
そう言って中へ促され部屋の中に入った。外が吹雪いていたので、部屋の中がぽかぽかと暖かく気が抜けた。
案内されたリビングでは御堂さんが言っていた通り黒い猫が寛いでいた。
(か、かわいい……)
床で伸びている姿を見て思わず顔がほころぶ。十畳以上はある広いリビングダイニングには、コタツが置いてあった。部屋の雰囲気にあうようにシンプルなデザイン。グレーのコタツ布団に天板は無垢材のものだ。
野暮ったくなりがちなコタツをちゃんとインテリアに調和させていてセンスがあるなぁと思った。
「散らかっててすみません」
「いえ、全然! 俺の部屋荒れ放題なので、こんなの散らかってるうちに入りませんよ、それに突然お邪魔したのは俺なので」
「私が呼んだんですよ。猫よかったら撫でてあげてください、クロって言うんです。黒猫だからクロ。単純でしょう」
「可愛いですね。クロ〜。こんばんは。おじゃましてます」
床に座り込むと人差し指を差し出してクロに挨拶をした。もちろん、相手をしてくれるとは思っていなかった。けれど予想に反してクロは、俺の指の匂いを嗅いだあと頬を指にすりつけた。
「あ、挨拶してくれた……」
「言ったでしょう。怒ったりしないって。クロが大人なのもありますが、仕草とか性格が猫というより犬っぽくて」
「犬?」
「面倒見がいいんです。時々、甥っ子が来るんですが子守してくれたり」
「へぇ、飼い主に似るっていいますから、じゃあクロは御堂さんに似ているのかも」
「私とクロ似てますか?」
御堂さんは鳩が豆鉄砲くらったような顔をして驚いている。俺は、その表情が面白くてカラカラと笑った。
「似てる似てる、だって御堂さん俺のこと助けてくれたもん、とっても優しいよ、かっこいいし、あと綺麗で」
「……もう。秦野さん、私のことからかってる?」
「ほんとほんと、本気で言ってるって」
照れ隠しなのだろうか、御堂さんは少し顔を赤くし横を向いて親指で唇に触れた。もしかしたら癖なのかもしれない。
なんだか、その仕草が妙に色っぽくてドキドキした。
「御堂さん?」
「あぁ、そうだ。お風呂よかったら先に使ってください」
話題を変えるように、唐突に御堂さんに風呂を勧められた。
「いや、そんな家主より先に」
「少し部屋の掃除したいので、気になさらずに、ね」
タオルと着替えのスウェットを差し出されてバスルームへ促された。
「では、えっと、お言葉に甘えて」
移動すると一緒にクロが後ろを付いてきた。本当にどこか実家にいる犬に似ている気がした。実家の犬も俺の後をよく付いてくる。
「ん、風呂、一緒に入る? クロ」
そう冗談を言ってみたが、俺の言葉が分かるのかタタタと部屋に走って戻っていった。頭がいい猫だなぁと思う。
(やっぱり猫がいる生活って癒される)
俺は暖かいシャワーを浴びながらしみじみとそんなことを思っていた。
本当なら今日は、朝までバーで飲んでいるか、インターネットカフェで夜明かししなければいけなかった。
けれど宿を提供してもらって風呂まで借りて、さらに大好きな猫まで撫でている。鍵を忘れて散々な日だったのに。
終わりがよければ全て良しだ。
「お風呂、ありがとうございました」
「どういたしまして。あ、私も入ってきますから、どうぞ、寛いでいてください。お酒ワインですが置いてますので、よかったら先にどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
いつの間にかこたつの上には宅飲みセットが用意されていた。御堂さんは部屋に人を招くことに慣れているのか、何から何まで準備が手馴れていた。俺も友達はいる方だが、社会人になってから人を家に呼んだことはない。
(いや、多分。俺の部屋は人が呼べる部屋じゃない……てか、こんなふうに素敵に友達をもてなしたりできない)
俺はこたつの中に足を入れて、机に顔を突っ伏した。また、御堂さんと自分の差を見て情けなく落ち込みそうになる。
何せ、御堂さんは多分元カノが思い描いていた甲斐性のある男そのものなのだ。
かっこよくて、優しくて、背が高くて、気が利いて。
「クロ〜」
(にゃー)
俺が呼ぶとクロは、こたつ布団から顔を出して小さく鳴いた。
「御堂さんってさ、きっと恋人いるよねぇ、すごく、優しいし」
ゲイバーから出てきたのだから、好きになる人は男なのだろう。
きっと女にも男にもモテるはずだ。俺に対してこんな気遣いが出来るのも、多分恋人に普段から同じように接してるから。
「クロは、優しいね。俺が落ち込んでいるの分かるのかな? うちのサチコと一緒だね」
クロは御堂さんが置いていった机の上のグラスを落としたり、いたずらをする気配はなかった。会社のイタズラ大好きな猫たちとは大違いだった。本当に猫っぽくない。
(クロが特別なのだろうか?)
御堂さんが用意してくれたワインを飲みながらクロを優しく撫でると、まるで家主の代わりにお酒の相手をしますよ? とばかりに俺の隣にきて引っ付いてくる。
「ふふふ、かわいいねぇクロ」
ここに着くまでに酔いはさめていた。けれど、甘いワインを飲んでいるとまた心地よく酔いが回ってくる。
「クロも、御堂さんに飼われて幸せだよね。俺なんてさ、だらしないし、会社に鍵忘れるし。間違えてゲイバー入っちゃうし。猫には嫌われるし。あ、でもクロは相手してくれるよね、ほんと、不思議」
手に持っていたグラスをテーブルの上に置くとずるずるコタツ布団のなかに沈む。そして、クロと同じ目線になった。
「俺にはさ、多分、猫ちゃん飼う才能とか資格がないんだろうなぁ」
彼女に呆れられるほどに生活能力がないのだから仕方がない。
次第に瞼がとろりと落ちてきた。人の家にきて勝手に寛いで家主より先に寝ようとしている。
こういうところが、ダメだ。
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