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第1章 1万円
薄暗い部屋の中。
無造作に置かれた財布。
長年愛用されているのか、焦げ茶色の革財布はところどころ擦り切れていた。
部屋の奥からは、シャワー音が絶え間なく聞こえる。
おそらくこの財布の中には、1万円札が数枚入っている。
「こんばんは、めぐみです。よろしくお願いします。」
部屋へ入り、夜の名前で挨拶をしたとき、
「忘れないように」
とすぐに財布を取り出し、惜しげもなく1万円札を4枚抜き手渡してきた。
その、さも当たり前の動作を、朱里(あかり)はよく観察していた。
あと5枚くらいは余裕で入っているだろう。
1枚くらい、分けてくれてもよいのではないか。
1万円が財布から減っていることに、平凡そうな今日のお客さんはきっと気づかない。
そう、気づかない。
1万円くらい大したことないだろう。
2時間の遊びに4万円を軽く支払ってしまうくらいだもの。
でも、朱里は違う。
1万円あれば。
1万円があれば、10日間生活できる。
10日間、安心してお腹を満たすことができるのだ。
今日のお給料はお代の半分。
つまり2万円。
それが3万円になればどうだ。今月はもう夜の仕事を入れなくてすむかもしれない。
罪悪感はない。
薄暗い部屋の中、朱里の感情はほとんど眠りについていた。
ゆっくりと。
音を立てないように。
朱里は財布へと手を伸ばした。
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