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帰り際。
お客さんは、財布を開くと、
「はい、お小遣い」
と朱里へ1万円を手渡した。
「え?」
たまにこういうことがある。
といっても5人に一人? いや10人に一人くらいだろうか?
しかし、お小遣いをもらうにはそれなりの理由がある。
多くは、朱里を本気で気に入っている常連のお客さん。
初めてのお客さんの場合は、アブノーマルなプレイに付き合ったお礼としてもらうことが多い。
本番してくれたらいくら、と言って交渉してくる人もいるが、朱里はその誘いに乗ったことはなかった。
さあ、では今日はどういった理由だろうか。
お小遣いをもらうにふさわしいサービスを提供できていない朱里は、戸惑ってしまった。
たしかに欲しい。その1万円が。
でも、今日はほとんどウトウトしていただけで、イカせることもできていないし。
お客さんが満足しているとは思い難い。
「今日は楽しかった」
無口のおじさんが、薄っすらと微笑んだ。
「あ、ありがとうございます」
その優しい声音に、朱里はつい1万円を受け取ってしまう。
――盗らなくて良かった。
その時、朱里の中に生まれた感情は”安堵”だった。
もしかしたら、お金を盗ろうとしていたことがバレたのかもしれない。
天にいる神様が見ていたのかもしれない。
そして、朱里がこれ以上落ちぶれないように警告を鳴らしてくれたのかもしれない。
そんなことをふと考えた。
『ほら、1万円あげるから。盗みなどしてはいけないよ』
そんな声が聞こえるような気がして、嬉しいような恐ろしいような、複雑な気持ち抱きながら、朱里はそっと1万円をポケットへ忍ばせた。
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