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「ただいま」
玄関のドアを開け、家の中に向かって叫ぶ。いつもは返ってくるはずの彼女の言葉が今日はない。靴を脱いで玄関をあがり、リビングをのぞくが、誰もいなかった。鍵を開けたままで出かけたのだろうか。そんなことを思い、ふと庭の方に目をやると、マグマの前でしゃがみ込む彼女の姿があった。丸まった背中はピクリとも動かない。俺は庭に出て、ゆっくりと彼女に近づく。彼女の背後まで来たが、こちらに見向きもせず、じっと煮え立つマグマをのぞきこんでいる。
「ただいま」
俺がそう言うと、「おかえりなさい」とおざなりの言葉が返ってくる。視線はマグマから動くことはない。
「ずっと見てるの? マグマ」
「うん」
「もしかして朝から?」
「うん」
「食事もせず?」
「トイレには行ってるよ」
「そっか」
また沈黙が続く。マグマの煮え立つ音だけが庭に響いていた。
「さっきマグマの色が変わったの」
彼女の言葉に思わず顔を歪める。
「色が変わった?」
「うん」
俺はマグマをのぞき込んだ。マグマは朝と変わらず血のような真っ赤な色で燃えている。
「どこら辺が変わったの。朝と一緒のように見えるけど」
「ちょっと静かにして。もうすぐ色が変わるから」
彼女の目がいっそう真剣になる。何がそこまで彼女をかき立てるのだろうか。
「ご飯は? お腹すいたんだけど」
「冷蔵庫になめ茸があるよ」
「なめ茸……」
俺はリビングに戻り、冷蔵庫を開ける。そこにはスプーン一杯分のなめ茸が入った瓶が置かれていた。俺はため息をつく。マグマに夢中になるのは構わないが、料理くらいちゃんと作ってほしい。
テーブルの席に座り、なめ茸ごはんを食べながら庭を見る。そこにはさっきとまったく変わらぬ姿勢の彼女の後ろ姿がある。よく飽きもせずに、あれだけ見つめられるものだ。
彼女が何かに夢中になるのはよくあることだった。変わった模様の猫を夢中になって町中を歩き回ったり、おしゃれな建物を何時間も見つめて警察に補導されたり、夕日を追いかけて地平線に走り出したりと、挙げれば切りがない。
そういえば彼女と初めて出会った時もそうだった。二年前のことが頭に浮かぶ。
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