四、図書室のヌシ

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 夏の終わりが近づいてきたある日のこと。  その日、僕は日直のため放課後、教室で、ひとり、日誌を書いていた。  サクラは、僕の机の隅に寝そべり、十手で背中を掻いている。  孫の手、代わりであろうか。 『朔、知ってる? デパートとかでさ、閉店間際に流れる曲ってさ、『蛍の光』じゃなくて、別の曲だって知ってた?』  サクラは、自慢げに僕に言った。 「『別れのワルツ』だろ」  僕だって、日々を無駄に過ごしている訳じゃない。  ちゃんと、知識を吸収しているのだ。  まぁ、その知識の大半が、本から得た物だから、偏りがあるけど。  サクラは、得意げに言ったのに、僕が知っていたから面白く無いみたいだ。 『朔。じゃあ、これは知ってる? 学校のチャイムは……』 「『ウェストミンスターの鐘』だろ。イギリス・ロンドン発祥のメロディで、元々はイギリス国会議事堂の『ウェストミンスター』に付属する時計塔(ビッグ・ベン)が鳴らす『鐘』のメロディだった」  サクラは、十手で僕の手を突いて、頬を膨らませた。 『それなら、電車に乗ったときに、アナウンスされる、『ワンマン電車』の意味は?』 「車掌さんがいなくて、運転手さんが車掌さんの仕事を兼任する電車のこと」  ガラガラッ。  音がして、教室のドアが開いた。   僕は、驚いた。  ドアを開けて現れたのは、『図書室のヌシ』だったのだから。  どうして、彼が1組にいるのだろう?僕以外、他に人もいないのに。  そう不審に思って、彼を見ていると、彼は、僕の斜め後方の机の中を探って、英単語帳を取り出した。  僕の視線に気づくと、声を掛けてきた。 「朔くんは、今日、日直? お疲れ様!」 「……どうして、僕の名前を知っているのですか?」  彼は、僕の問いに目を丸めて「酷いなぁ~。同じ青葉なのにー」と、こぼした。 「あっ! 新学期の青葉くん!?」 「うん、そうだよ。あっ、青葉はややこしいから、下の名前で呼んでよ! 僕も朔って呼んじゃったし」  彼は……いや、青葉朔也くんは、新学期に席を間違えた、あのクラスメートだったのだ。いい加減に、人の顔と名前を覚えられない、この性格をなんとかするべきだよな……。  彼も、図書室で毎日出会う、僕のことが気になっていたそう。  恥ずかしそうに、眼鏡のつるを押し上げて、そう教えてくれた。   「あのさ、気になったんだけど、僕が教室に入る前に(つぶや)いていたことって、もしかして……ワンマン電車のこと?」  穴があったら入りたい。  聞かれていたなんて……。絶対、変人だと思われた。 「ごめんね、盗み聞きしたみたいになってさ。僕も、そういう蘊蓄(うんちく)が好きでさ、つい、仲間かと思っちゃって……じゃあねっ!」  朔也くんは、それだけ言って、教室を去ってしまった。  きっと、僕が返事をしないから、嫌がっていると思われたのだろう。  朔也くんに謝らせてしまった。  本当に、腑甲斐無(ふがいな)い。 『朔~! 一大チャンスだったのにぃ~! どうして話を続けないの!』  朔也くんが教室から出ると同時に、サクラは文句を言ってきた。僕は、サクラから顔を背けて、日誌を書ききった。  サクラは、僕の頬を十手でツンツンと、突いている。 『ねぇ、もしかして、トラウマみたいなものがあるんじゃないの?』  サクラからの問いは、僕を3年前の記憶へと(いざな)った。
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