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知性と文明について
拙作『文明の星』の9~12章部分をまとめ直し、
あらためて人間の知性と文明の関係について考えてみました。
1 知性について
知性すなわち知的生命活動能力とは、
環境の違いや変化に応じて活動を制御することにより、
より良く生きられる能力です。
具体的には、『ああいうときは、ああなる』(法則)
『こうすれば、こうできる』(技術)といった、
物事の間の因果法則を発見し、利用する能力です。
知的生命活動の過程は、『どうなっているか知る』(認識)、
『どうすべきか考える』(決定)、
『そのとおりにする』(行動)という三つの段階からなります。
2 文明について
文明とは、高度な技術をもった知的生命活動の様式です。
〝様式〟というのは〝ある社会集団に共通する形式〟なので、
文明活動とは、高度で社会的な知的生命活動ともいえます。
そこで文明活動も、個人の知的活動と同様に、
科学・技術(認識)、制度・政策(決定)、
経済・社会活動(行動)の三種類に分けることができます。
ただし、個人ではなく社会全体の活動のあり方なので、
人々が技術の発達に応じて、実際に色々なことをしていく中から
『ああいう時はああすべき』(法規)といった決めごとができます。
そこで個人の個別的活動と文明全体の長期的活動では、
決定と行動の順番が入れ替わるとか、
公平で効率的な規則という形式が重視されるといった違いがあります。
また生命活動は、生存に必要なものを得て、分けることで営まれます。
文明活動においても、このことは変わりません。
文明活動の本体は、全ての人々が営む経済・社会活動ですが、
自然からより良く富(財、資源)を得て、
経済・社会活動を豊かにするために分業化した活動が科学・技術、
人々の間でより良く富を分けて、
経済・社会活動を健全に保つために分業化した活動が制度・政策である、
といえます。
(細かくみると、技術や政策も広義では経済・社会活動の一部であり、
自然の中には、一定の法則に従う個人や社会の〝内なる自然〟を含み、
制度には、人々を効率的に動かす社会的技術という側面もあります。
しかし、基本的には上記のように言えましょう。)
技術と政策は、文明活動の本体たる経済・社会活動を支える、
二本柱といえましょう。
この点からいうと、文明とは高度な技術と政策を持った
知的生命活動の様式である、ともいえます。
さらに、これら三つの文明活動には、それぞれの必要条件として、
物的資源、人的資源、自然・社会環境という、
三つの環境条件を考えることができます。
技術は物的資源に具現化されないと社会を豊かにできず、
政策は人的資源により実現されないと社会を健全に保てず、
政策による技術開発には自然・社会環境が影響するからです。
そこで、以上六つの文明要因から文明活動を理解・予測し、
皆で今後の社会を考えるのに役立てていけたらというのが、
私見『文明の星』理論(仮説)の趣旨です。
3 科学・技術について
文明活動の始まりとなる認識の部分が、科学・技術ですが、
ここではまず、因果法則の発見が重要となります。
「科学の本質は法則の発見にある」といった言葉を、
聞かれたことがある方も多いと思います。
しかし物事の間の法則性は、すぐに正しく分かるとは限らず、
推論と空想の境界は連続的で、これは広い意味での想像といえます。
まず自然科学では、観察をもとに仮説を立て、実験などで検証し、
その仮説が実証されて初めて、法則として認められます。
(燃焼の原理や生命の起源、原子の構造、宇宙の歴史に関する
学説の変遷は、このことを示しています。)
また社会科学では、全くの空想概念も、
人々が効率的に動けるような、社会工学的技術を可能にします。
権利・義務・法人格などの法律概念や、貨幣の価値、
あるいは宗教の教義などがこれに当たります。
(私はこの考え方を、岸田秀先生やY.N.ハラリ先生の著作で
知ることができました。)
知性の第一の特色とは、
合理的な推論から完全な虚構にまで及ぶ想像力であり、
それが自然や社会についての科学・技術を可能にするのだと
思います。
4 経済・社会活動について
科学・技術は経済・社会活動を拡大・省力化すると共に、
複雑・加速化するので、人間の欲求を質的・量的に無制限化します。
複雑化した文明活動は、遺伝的に組み込まれた本能だけでは営めず、
また生活の向上は、さらなる改善を求める余裕を生むからです。
このことは、文明活動という高度に知的な生命活動においても、
生命活動とは生物と環境の相互作用の過程である、
ということを示しているのではないかと思います。
人間は技術によって自然・社会環境を変えていきますが、
それにより、人間自身も変わるのです。
しかし、相互作用はそこでは終わりません。
5 制度・政策について
人々の欲求や価値観(欲求の体系)の多様化は、
様々な欲求や価値観同士の衝突の可能性も増やすので、
社会的な利害調整のため、新たな制度・政策の必要性を生み出します。
また、ある技術水準のもとで政策が利害調整を極める一方、
人間の欲求はその制約を超えようと、さらなる新技術も求めるので、
その健全な開発・普及のため、新たな技術的政策も必要となります。
技術によって(自身を含む)自然・社会環境を変えた人間は、
新たな制度・政策を作って変化した環境に適応しつつ、
より良い生活を求めて自然・社会環境に働きかけるべく、
さらなる新技術を追求していくのです。
知性の第二の特色とは、
経済・社会活動の複雑化により生じた限りない欲求であり、
それが利害調整や新技術開発のための制度・政策を
求めさせるのではないかと思います。
6 まとめ
以上のことから〝知性〟とは、
第一の特色である〝限りない想像力〟に加え、
第二の特色として〝限りない欲求〟も必然的に伴い、
含むと考えられます。
するとこれらは、世界史のルネサンスで学んだような、
良くも悪くも合理的に考え、自由を求める
〝人間性〟と重なるのではないでしょうか。
知性は人間性とほぼ同じものであり、
それが技術や政策の創造を可能とし、
必要とさせるのだ、という見方です。
あえて知性と人間性の違いをあげるとすれば、
知性は限りない想像力の方に重点を置き、
人間性は限りない欲求の方に重点を置いた言葉である、
ということでありましょう。
また、今では人工知能(直訳では人工知性)という、
電算組織に法則性の発見・利用を可能とさせるような、
自己学習型の演算指示も発達しつつあるので、
独自の生存欲求(意思)を持たない知性もありえます。
加えて、人間性といっても、狭い意味では、
社会的に望ましい欲求の部分のみを指すことも多いです。
しかし広い意味で言えば、知性と人間性は同義であり、
それらは限りない想像力と欲求を二大特色とし、
想像力が技術、欲求が政策という、
文明の二本柱を生み出すのだと思います。
限りない想像力と欲求を持った人類の知性(人間性)は、
限りない可能性と危険性を備えています。
両者を増幅するのが技術であるとすれば、
前者を最大化し、後者を最小化するのが政策といえます。
技術なくして文明の発展はなく、
政策なくして文明の持続はないともいえましょう。
人類が今後も、新たな技術と人道的な政策により文明を発展させ、
繁栄し続けていけるよう、願っています。
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