『救いようのない』男

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 さて、江戸の町に出て庄屋さまの口利きでおれが勤め始めたのは、とある旅籠だった。品川にある小さな宿さ。それでも一日に何人もの客がひっきりなしに訪れる。  おれは必死に働いた。周辺が何もかも新しくなったんだ。一念発起して、ここで偉くなって、家族を、村の奴らを見返してやろうとすら思った。そういう気概が、まだ残っていたんだなぁ。当時は十二歳ぐらいだから、若かったんだよ。  旅籠に入って最初に任された仕事は、訪れる客の足拭き。草履を脱がして、濡れたぞうきんで客の足をごしごしと拭く。うまくいくと駄賃を貰えたりして、あれは嬉しかった。  恋だってしたんだ、一方通行だったけれど。旅籠屋主人のお嬢さん。おれより三つ年上だったが、輝くような顔貌ってな、ああいうのをいうのかねぇ。近所でも名の知られた器量よしだった。  だがな、結局おれはこの旅籠でも駄目だったのさ。  簡単な仕事をしているうちはまだよかった。だがちょいと難しい仕事を任せられるようになると…。  客の名前を覚えられない、膳を運ぶ部屋を間違う、風呂焚きでは湯を熱くしすぎて客から叱責された。  旅籠屋の主人もおれに合う仕事はないかと色々あてがってはくれたんだが、そのどれもうまくいかねぇ。従業員の方からも苦情が出る始末でよぉ。   「どうか元吉を、うちのところに送らないでください、あいつの不始末だけで仕事が終わらない」  奉公人ってな、基本競争相手なものだから、蹴落とせる相手には容赦もない。先輩格からは鬱憤晴らしによく殴られたし、後輩格には自分がした失敗をおれになすりつけられた。  抗弁しなかったのかって?  さっき言ったろ、おれ、説明が下手なんだよ。  え? 今はちゃんと説明できているって。へえ、それってやっぱり…。
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