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公園のベンチに座っていると、コツコツと地面を木で突くような音が聞こえた。振り返ると、八城さんだった。右足に包帯を巻いて松葉杖をついている。
「ど、どうしたの、その怪我」
「階段からこけちゃってさ、また学校とか言ったのにごめんね」
きれいだった二重瞼は赤く腫れていた。
二人でベンチに座って少しの沈黙のあと八城さんは口を開いた。
「あのさ、田川。ちょっと聞いてもらってもいいかな」
「え? う、うん」
「私が最初に矢印を見たのは、両親が離婚してどっちについていくか選ばなきゃいけない時だった」
八城さんは苦しそうな表情でぽつりぽつりと話し始めた。
「その時はなにかよく分かんなくて矢印と逆のお母さんを選んだの。もともと仕事一筋の人だったんだけど、いつもなんだか寂しそうに見えて、この人を一人にさせれないって子供心に思ったんだよね。それでしがみついちゃった。重荷だったんだろうけど最初は優しかった。ご飯の時間合わせてくれたりシュシュ買ってくれたり」
そういって水玉のシュシュを触った。
「だけど、二年くらい前からお母さん変わっちゃった」
病気のお母さんの話だよね、僕は混乱した。今まで聞いていたイメージと違う気がした。
その時、にゃあんとどこからか灰色の猫がやってきた。
甘えるように足元にすり寄ってきた猫を八城さんは持ち上げて僕に向ける。
「たとえばさ、わたしがすごくお金が必要で、それがこの子一匹の命でどうにかなるとしたら、田川はどうする?」
「……え」
猫は変な顔で手足をばたつかせていた。
「いつ死ぬかも分からない野良猫だし、きっといなくなっても誰も気づかないと思うけどどうする?」
「……八城さんの力にはなりたいけど、でも何の罪もないのに殺すのはかわいそうだよ」
いつもきらきらと光を反射して綺麗だった瞳は赤くなって、いつのまにか両目いっぱいに涙がたまっていた。
「どうしたの、僕で力になれることだったら」
八城さんは小さく深呼吸した。
「お母さんの病気重くて手術代が必要なの。二百万」
「に、にひゃくまん?」
声がうわずる。雑草を抜いているだけでは到底用意できない金額だった。それこそさっきの野良猫を何十匹と手をかけないと……。と、そこで気が付いた。なんで雑草以外も可能だと知っているのだろう。何も話してなかったのに。
「――って言えっていわれたの」
海底で溺れるような声だった。
「だ、だれに」
ぽすっと地面に開放された猫は慌てて逃げて行った。
「ほんとは騙し通そうとしてたんだけど、だめだった。思ってたよりずっといいやつなんだもん」
八城さんは松葉杖に重心を寄せながら立ち上がった。
「ばいばい」
引き止めたかったのに、頭の中がぐちゃぐちゃで僕はその場を動くことができなかった。
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