2020年 春

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ブラック企業に勤め、売り上げや成果重視の上司の期待に添えず、失敗を繰り返し彼から度重なるパワーハラスメントにあい、22歳で人生の土台となるを全てを失ったように見えた私。 だが、そんな私に手を差し伸べてくれた人間が奇跡的にいた。 その人は、同じ会社の同期の男性で、出逢ってすぐに突飛もなくプロポーズをくれた。 当時、働く気でいた私には全く彼の行動は理解出来ずにいた。 新人だったし、毎日それどころじゃなかったからだ。 でも、私は器用ともいえず、賢く立ち振る舞えないまま、結局経済社会からあっさり落ちこぼれた。 そんな私とそれでも結婚したいと、彼は強く所望してくれた。そのおかげで、私は職と自信は失ってしまったが、最低限の暮らしを捨てずに済んだ。 暮らしを捨てずに済む。 それは今当に我らが直面している事態である。 日本が長い経済不況の中、もし、コロナという未知の感染症と戦う上で、まず捨ててはいけないものは、人々の暮らし。 それじゃないかと私は今思うのである。 経済活動の基盤には人々の営みがある。 我々は資本主義の社会にどっぷりと浸かるなかで、この営みとは何かを、暮らしとは何かを忘れてしまっているのではないかと、私はそう思うのである。 あの頃、もし職を失っていなかったとしても、私にまともな暮らしが保障されたとはとても言えなかった。 ブラック企業における労働は実に機械的で、常にシステム的に数値化され、効率化を求められ、人間として生きることよりも社会の歯車として生きることを強制されていた。 もし、しがみつけたとして、私にとっては息の詰まるような毎日だったことだろう。 きっと、住んでる街の長閑さにも気付かず、職場と自宅の往復を淡々と繰り返す日々が続いてたように思う。 そう思えば、今このゆったりした暮らしを手に入れていることは寧ろ奇跡のように思えるし、当時苦しくて堪らない経験であったパワーハラスメントさえ、今は自分にとって有難い経験のように思える。 是非、もし今コロナを前に日々の労働や経済社会から落ちこぼれることに不安を感じているなら、これだけは覚えていて欲しい。 如何なる変化にも不安はつきものだが、生きている限り、それはいつか貴重な経験になることを。 10年先のことなんて、誰もが予想出来てもリアルなんて分からないから。
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