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私はそんな風に今、10年前を振り返りながら、あの年のことを再び考察している。
東日本大震災が起こった3月11日。
日本は以前までの姿とは変わり果てた様相で、静かに崩壊し始めていたように思う。
福島第1原発の事故は私にとって、人生史上一番印象に残る大事故だった。
私がこの事故を知ったときに一番不思議に思ったのは、原発そのもの存在だった。
一体あの事故の何がそんなにヤバイのだろう?と私はそれすら知らずにこの国で成人してしまっていた。
きっと事故さえなければ、今もアレに関心があったとは思えない。
でも、何故か私は壊れてしまった自身の人生とあの事故で無残な姿を晒していた、発電所の姿にどこか切なさを覚えていた。
無言で稼働し、経済社会のために耐久年数以上に酷使された発電所の悲鳴が聞こえるような気がしたからだった。
それは、労働者が納税の義務のために経済奉仕に身を窶し、あげくには自身を見失ない、投身自殺するやり場の無さと類似しているものがあるように見えて仕方なかった。
経済社会が一見華やかに見える裏側で、冷酷な面を持ち、ひっそりと犠牲になっている人や物があるんだろうとは、幼いながらも成長する過程で薄々気付いていた。
だが、あの日。日本社会いや、経済市場における暗雲ははっきりとその存在を私達の目前に突き付けた。
更に、それは10年近く経って復興も道半ばの今、新たな脅威の登場とともに再び頭上からこう問いかけさえしている
「地球は人間だけのものなのか?一体何のために経済活動を行うのか?」
そんな漠然とした答えの問いを投げかけている気がするのだ。
人間にとっての恐怖や不安の大半はそれまでお金を使えば大抵解決出来る。そのような世界の完璧さが、信用創造という貨幣制度の整った世界で、神の如く信用されていた。
だが、放射性物質もコロナウイルスも目には見えない。お金だけでの解決も出来ない。
世界に遍くグローバリズムの思想や経済活動の全ては、この事態に右往左往するばかりである。
誰がこの事態を予想していた?権力者なら誰か一人くらい予想出来そうなものだろうと。
でも、どうやら日本には居ないらしい。
ニュースを見ているとそんな風に感じている。
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