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エリーへ
ふと顎に手をやると、指の表面にザラザラとした皮膚の感触が伝わった。少し伸びたヒゲの先が、サボテンの針のように俺の肌を突き刺していく。
鏡を覗けばいつだって、よく見慣れた血色の悪い顔が不機嫌そうにこちらを睨んでいた。そう怖い顔するなよ。他人事のように口の中で呟く。
仕方ないって、口にするのは簡単だ。
自分は悪くないんだって。
俺はいつだって、そうしたちっぽけな言い訳を繰り返しながら逃げてきた。だって、他の奴らだってそうだろ? みんな言い訳しながら逃げてるんだ。ヒーローなんて現実にはいない。ヒーローが許されるのは、子供向けの漫画か映画の中だけさ。
この歳にもなると、大人向けのつまらないドラマばっかり見ちまう。登場人物が弱くて、情けなくて、失敗と言い訳ばっかりしてる“現実”っていう名前のドラマをさ。その中でも、とびっきりに格好悪い主人公がきっと俺なんだろう。そう考えると、なんだか笑いがこみ上げてくる。
なあ、エリー。男って弱い生き物なんだよ。
酒と煙草がやめられないのは、本当は中毒なんかじゃない。ツラいんだ。逃げたいんだよ。世間って怪物が牙を剥いて追ってくる。目に見えないプレッシャーがいつも肩に乗っている。この社会に満ちているのは毒ガスだ。そいつは無味無臭で、しかも目に見えないんだ。気が付いたら致命的な肺の奥まで吸い込んでいて、俺たちは息が出来ない。
エリー。煙草の煙が嫌いだったな。ゴメンよ。でも……この煙がないと、俺は息が出来ないんだ。だから、少しだけ煙草を吸うのを許して欲しい。いつか空気の綺麗な場所に行ったら必ず辞めるから、もう少しだけ許してくれ。
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