164人が本棚に入れています
本棚に追加
危機感
伊坂が送ってきた花。水仙のような形状で、白く可憐な花びらが、甘くエキゾチックな香りを漂わせている。
腹立たしい気持ちもありながら、その花越しに史を見つめると、軽い欲情が沸き上がる。弘海は史から目を逸らし、接客に集中した。
今日は、伊坂が上司らしい初老の男と来ていた。こびへつらう伊坂の様子から、男がかなり上役であることが見て取れた。
史は相変わらず、品のいい微笑みを浮かべて伊坂の横にいた。上司らしい男は史を口説く様子はないが、話は盛り上がっているようだった。
史が席を外し、裏口に回った時、弘海は何気なく自分もその後を追った。
追いかけてきた弘海の顔を見ても、史は前のように笑顔を見せなくなった。無表情でポケットから、煙草とライターを取り出す。
一緒に住んでいても、最近は会話も少なくなっていた。
「・・・今日も伊坂と泊まりか?」
うつむいて煙草に火をつけた史に、裏口のドアに寄りかかって弘海は聞いた。「Lick」に勤め始めた頃は吸わなかった煙草を、史は最近たしなむようになっていた。
白い煙を吐き出し、ちらりと横目で弘海を見て、史はすぐに前を向いた。そして答えた。
「多分ね」
「・・・一昨日も、その前もだったよな」
「お客さんの要望だから」
「・・・たまに断ったって、あいつはまた来るだろ」
「・・・仕事だよ」
「・・・・・」
史は煙草を携帯灰皿に押しつけた。弘海と目を合わせないように、脇をすり抜けようとした。
弘海は史の腕を掴んだ。史は後ろ手に捕まれても、振り向こうとしなかった。
「おい・・・こっち向け」
「なに」
「お前、あのエロジジイのこと好きなのか」
「・・・何言ってんの」
「あいつは危ないからやめろって言ったろ」
「ただのお客さんだよ。好きとか・・・馬鹿馬鹿しい」
「・・・心配してんだよ。何だよその言い方」
「心配?」
史は、急に振り返り、片手で弘海の胸を押し返した。弘海の背中が壁に打ち付けられて、鈍い音がする。下から弘海を睨み上げ、史は低く言った。
「何が心配?俺がちゃんと割り切って仕事してるか?今日弘海のところにちゃんと帰るかどうか?それとも、俺が伊坂さんとベッドでどんなことしてるか気になる?」
「史!」
「聞きたいなら教えてあげるよ。伊坂さんは俺に・・・」
「やめろ!」
弘海は史を無理矢理自分の方に向かせ、力づくで唇を奪った。強く抱きしめた弘海の腕に、史は爪を立ててしがみついた。
唇を離して、弘海の顔を見上げた史は消え入りそうな声で言った。
「・・・キスするぐらいなら、ちゃんと言葉で、行くなって言ってよ」
「史・・・」
史は弘海の身体を押しのけて、早足で店の中に戻った。
その日の夜は、弘海にトラブルが降りかかった。
店になだれ込んできた、既に酒が回った男は、弘海が史に初めて会った夜に店を追い出した、弘海の元の男だった。
男は出迎えたボーイ達を乱暴に蹴散らして、弘海、と大声で叫んだ。
店中の人間の視線が弘海に集まった。
史は、伊坂の隣に座ったまま、弘海のいらついた後ろ姿を見ていた。
虫の居所の悪い弘海は、煙草を灰皿に押しつけ、舌打ちしながら立ち上がった。
「今さら何しに来たのよ、あんた」
ベロベロに酔っぱらったその男は弘海を見つけると、呂律の回らない口で訳のわからないことを言いながら、千鳥足で近づいてきた。身長はほぼ同じだが、その男は弘海よりもひとまわり体格が大きかった。弘海に抱きついた男は、ウエストあたりからTシャツの中に手を入れた。
「やだ、触んないでっ、ちょっと、やめてよ」
かつて弘海が追い出したときには、軽々と足蹴にできたものの、泥酔した男の力は思いの外強かった。
男の手を掴んで振り払おうとしても、執拗なボディタッチはエスカレートするばかりだった。
弘海はいつものように適当な言葉であしらおうとしたが、次第に回りの客がざわめいてきて、仕方なく男をトイレに連れて行った。
ドアを閉めると、瞬時に素に戻って、弘海はドスのきいた声で怒鳴った。
「だから触るなって!もうお前に触られたくねーんだって!」
「ひろみぃ・・・」
怒鳴りつけられても、男はものともしなかった。さらに弘海の身体を撫でさすりながら、男はキスしようと顔を近づけて来た。
トイレの壁に弘海の身体を押しつけ、自分の身体を擦りつけて男は弘海の唇を奪い、舌を割り込んだ。
「んう・・・っ・・」
男の顔を押し返そうとするが、びくともしない。
唇を吸われたまま、男の手がTシャツの中で弘海の胸まで上がってきた。
弘海は乳首を弄ばれて、意に反して声が出た。
「・・・う・・っ・・・」
その声を聞いて、男がヒートアップする。Tシャツを顔の下までたくし上げ、男は弘海の乳首にむしゃぶりついた。びくっと、弘海の身体が震える。
「お前・・何してくれてんだ・・っ・・やめろって・・・」
必死に抵抗するうちに、男の手が弘海のデニムのファスナーを下ろそうと伸びてきた。弘海の背中を鳥肌が覆う。
「・・ざけんな・・・てめえっ・・・っ」
もがけばもがくほど、男は力づくで弘海の服を脱がせようとする。弘海は、男の肩に噛みついた。痛みに怯んだ隙にすりぬけようとしたが、逆に男の膝蹴りにあい、弘海はトイレの床に崩れ落ちた。
なんでにげるんだよお、と酒臭い息が耳に吹きかけられた直後、男が覆い被さるように弘海に跨がってきた。今度こそ無理矢理にデニムを膝まで脱がされ、弘海の足の間に男が顔を埋めた。
「うあ・・っ・・・」
男に咥えこまれ、弘海は背中に悪寒が走った。その時。
ゴッ、という鈍い音がして、同時に弘海の身体の上に、気を失った男がどさりと落ちてきた。
弘海が見上げたそこには、トイレ用のモップの柄を両手で握りしめ、息も荒く仁王立ちしている史がいた。
最初のコメントを投稿しよう!