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デート
「史・・・ちょっと、出かけないか」
「Lick」の定休日、弘海は再び、史を誘った。
しかし今度は買い物ではなく、どこか行きたいところはないか、と言って誘ったのだ。
「なんかデートみたい」
「今までそれらしいこと、したことなかったからな・・・」
「そうだ、弘海、新しく出来たカフェ行きたい」
「カフェぇ?男二人でか」
「いいじゃん、行こう?」
「しょーがねーな・・・」
弘海の気持ちを汲み取ってか、史は不自然なほど明るかった。
カフェでコーヒーを飲み、ポップコーンを抱えて映画を見た。史は照れる弘海の腕に絡みついて歩いた。夕食も済ませて、車に戻る途中、史が弘海の腕を強く引っ張った。
「今度は何だよ?」
「あれ・・・」
史が指を指したショーウインドーを見て、弘海の心臓がどくんと大きく打った。固まる弘海の横で、史は少し哀しげな声で呟いた。
「・・・ああいうの、憧れる・・・」
史は、立ち止まった弘海の顔を見ないで、ごめん、なんでもないと言った。
しかし次の瞬間、弘海が、史の腕を掴んだ。
そしてそのショーウインドーの店に、早足で入った。
女性の店員がひきつった笑顔で、何種類かの指輪を並べた。それらはトレーの上で、きらきらと照明を反射して輝いていた。店員はちらりと弘海と史を確認するように見ながら、こちらはペアリングになりますが、と言った。
弘海は、史の腰をぐいと自分の身体に引き寄せた。
「知ってるよ」
店員の顔を見ながら、弘海は史にぎりぎりまで顔を近づけた。そして、様子を伺っている回りの客にも聞こえるように、はっきりと言った。
「どれにする、史」
目の前の店員は両手で口を覆って、赤い顔をしていた。
史は驚いた顔で、目の前に並んだいくつものリングと、弘海の顔を見比べた。史の身体を抱いた弘海の腕は、強く、熱かった。
史は、一番シンプルなプラチナのリングを、少し恥ずかしそうに指した。
「ありがとうございましたー」
好奇に満ちた視線の中で、弘海はペアリングを買い、その場で史の左手の薬指にはめた。そして史の腰を抱いて店を出て、店内からよく見えるショーウインドーの前で軽くキスをした。
「あの店員、ひきつってたな」
「わざとやったくせに・・・やりすぎだよ」
「オネエでがっつり絡んでやろうかとも思ったんだけどな~」
「それ・・・おもしろかったかもね」
「だろ?今度どこかでやってみるか」
「・・・弘海」
「ん?」
「・・・ありがとう」
「・・・ん」
車は込み合う通りを抜けて、アパートに向かった。
史はそっと、薬指にはめられたリングを撫でた。隣でハンドルを握る弘海の左手にも、同じリングが輝いている。
史は急に、窓の外に顔を向けた。そして、そのまましばらく動かなかった。
「・・・史?」
弘海の問いかけに、史は答えなかった。
寝たか、と弘海はつぶやいて、フロントガラスに視線を戻した。
車のサイドガラスに映り込んだ史の閉じられた瞼から、涙がひとすじ、こぼれ落ちた。
「ママを辞める?」
「そうなのよ~」
理玖は笑いながら、史の肩をぽんぽんと叩いた。
「あたしの後釜は、弘海にお願いしようと思ってるの。史・・・あんた、手伝ってやってくれない?」
「俺が・・・?」
「弘海と一緒にいたいんでしょ」
「・・・うん」
「何か気になることあるの?例の・・・スカウトのこと?」
「それもそうだけど・・・俺・・・」
怖いんだ、と、左手の指輪を触りながら史は呟いた。
「この間みたいに・・・弘海に触る人がまた現れたら・・・俺、今度こそ殺してしまうかもしれない。弘海が止めなかったら、俺、あの時もっと殴ってた」
「史・・・」
「それだけじゃない・・・弘海のお客さんや、友達や、従業員も・・・冷静に見ることが出来なくなってきてて・・・一緒に働きたいけど、こんなんじゃみんなにも迷惑かけそうだし・・・」
「それは弘海も一緒でしょ。あいつもかなり我慢してるわよ」
「わかってる。でも弘海は大人だから・・・俺は割り切った振りをしてみたけど、何にも割り切れてなかった。お客さんと寝るのだって・・・弘海に、妬いてほしいから・・・弘海にやめろって言ってほしくて・・・」
理玖はうつむいたまま話し続ける史の顔を、やさしく上向かせた。
「そんな状態だったのね。あんた、顔に出さないから気づかなかったわ。確かに水商売には向かないわね」
「せっかく雇ってもらったのに・・・ごめん」
「いいのよ。弘海の言うとおり、あんた、こっち側の人間じゃなかったってこと。ちょうどマトモな仕事の話も来たところだし、一度立ち止まってみるのも大切よ」
理玖は微笑んでいた。申し訳なさそうに、史はもう一度うつむいた。
「それで、これからどうするの。弘海とは・・・」
「・・・わからない。離れたくないけど・・・」
「それ、弘海にもらったんでしょ」
理玖は左手の指輪を指した。こくりとうなづいて、史も左手を見た。
「長いつきあいだけど、そんなロマンチックなことする男だとは思わなかったわ。本気であんたを愛しちゃったのねえ・・・」
「そうかな・・・」
「だって、プロポーズでしょ、それ。一生俺の側に居てくれとか、言われたんじゃないの?」
「・・・・何も言われてない・・・」
「はあ?!何それ、ホントにムードのない男ね・・・買い与えただけ?」
理玖は急に大きな声を出して、立ち上がった。驚く史の前を大股で歩いて、隣に続くSTAFF・ONLYと書かれたドアを勢いよく開けた。
こちら側に開いたドアから、バランスを崩した弘海が転がるように入ってきた。史は、弘海が顔を赤く染めているのを、初めて見た。
「こそこそ聞いてないで、直接言ってやりなさいよっ!・・・ったく、どっちもウジウジしていつまでも進まないったらありゃしない!」
「こ・・・こそこそじゃねえよっ!入るタイミングが無かっただけで・・・」
「黙らっしゃい!このヘタレが!ちゃんと言うまでここから出さないわよ!」
理玖は弘海を史に向かってどん!と押しやり、ドアを閉めた。閉める直前に、史にウインクを残して。
向こう側から鍵の閉まる音と、理玖の鼻歌が聞こえた。
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