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 弘海は閉店した「Lick」の厨房でかたく絞ったおしぼりを、「ネコ」青年に向かって放り投げた。それを片手で受け取ると、軽く会釈して、彼は申し訳なさそうに口の回りを拭いた。 「なんで鞄だけあんなとこに置いていったの?」  弘海は冷蔵庫から麦茶を取り出して、グラスになみなみと注いだ。青年は、つい何時間か前の気怠げな雰囲気は消え失せ、捨てられた子犬のような頼りない目をしていた。 「・・・・・・・覚えてない」 「ま、泥酔してたから仕方ないか。だけど大事な仕事道具でしょ」  グラスを手渡して、弘海は青年の向かい側の椅子に腰掛けた。青年は軽く頭を下げて一口飲んだ。弘海は頬杖をついて、青年の顔をまじまじと見つめた。 「見たところそんなに酒に強そうな感じでもないしね。嫌なときは嫌だって言わないとだめよ、酒もセックスも」  青年が、驚いた顔をして弘海を見た。 「ちゃんと特定の相手作ったら?適当に見繕ってばかりいないでさ」 「・・・・・・・これしか」 「え?」 「これしか取り柄がないから」 青年は、独り言レベルの声量で言った。弘海は青年の俯いた顔をのぞき込んだ。表情は見えないが、羞恥を感じているのは分かる。 「取り柄って・・・・・・・セックスがってこと?」 青年が小さくうなづく。今にも泣きだしそうだ。 「いいじゃない。うーんと、それの何が悪いの?」 「・・・・・・・」 「そもそもあたし、そういう仕事だし・・・・・・・おにいさん、昼間はちゃんとしたおつとめでしょ?昼がんばって働いて、取り柄だって言うんなら、夜にそれで楽しめばいいのよ。ただね」 弘海は煙草を取り出した。火をつけて、天井に向かって煙を吐き出した。白い煙が静かに二人の頭上でいびつな円を描く。 「さっき、店で見てたけど、好みとかないの?まさか誰でもいいって訳じゃないでしょ」 「好み?」 「ネコだって聞いたけど、ハメてくれれば誰でもいいって感じには見えなかったわね。どっちかっていうと、ネコだからって言うより、誰に何されたって構わないって感じに見えたわよ」  青年は何かを言おうと口を開いたが、思いとどまってまた黙ってしまった。弘海は続けて言った。 「お互いが気持ちよくなれるなら、誰とどれだけヤってもいいと思うけど、求められるままに脚開いて、あんたが気持ち良くないんじゃ楽しくないじゃない?って、ヤってるの見てたわけじゃないんだけどね~」  にっと笑って、弘海は立ち上がった。青年に近づいて、軽く頭をつついた。驚いて青年が顔を上げた。弘海は青年に顔を近づけて、優しい声を出した。 「尻軽なふりしてるけど、無理してんでしょ。似合わないわよ」  彼の見開かれた目に、弘海の優しい笑顔が映り込んだ。 「名前、なんていうの」    青年の頭を撫でながら弘海は聞いた。青年は、か細い声で答えた。 「ちかし・・・・・・・」 これが弘海と三澤 史(みさわちかし)の出会いだった。
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