嫉妬

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嫉妬

「Lick」のトイレの個室は二つ。そのうち一つに鍵が掛かっている。 中から人の気配がした。それも二人。弘海は音を立てないようにドアに近づいた。 「・・・んっ・・・」 史の声がする。そして卑猥な湿った音。史は声を抑えているが、どうしても漏れる吐息が逆になまめかしい。弘海は頭を抱えた。やめろと叫んで、ドアを蹴り破りたい衝動にかられる。が、これはボーイの仕事の一つだ。弘海自身、客に望まれれば応える。これを分かっていて、史は自分で決めたのだ。邪魔をするわけにはいかなかった。 「はぁっ・・・ん・・・」 個室の壁に何かにぶつかったような、鈍い音がする。湿り気のある音が激しくなる。個室の中で昴ぶる中心を咥えられ、切ない表情で堪える史の表情が弘海にはありありと想像できた。 「あっ・・・あ、やっ・・・あ・・」 史の声のリズムが変わった。狭い空間で身をよじり、ペーパーホルダーにぶつかっているだろう雰囲気が読みとれた。 「伊坂・・さん・・っ・・」 史が相手の名前を呼ぶ。応えるように伊坂の口が卑猥な音をさらに大きく響かせた。弘海は耐えられなかった。足音にも構わず、トイレを走り出た。身体の中に渦巻く苦い感情が、怒りではなく嫉妬だと気づいて、弘海は余計に腹が立った。 その勢いで、弘海は自分を待っていた客と逃げるように店を出た。 ホテルになだれ込み、その夜は家には戻らなかった。 合い鍵でアパートのドアを空けると、玄関には史のスニーカーがきちんと揃えて置いてあった。弘海は二日酔いで痛む頭を押さえながら、部屋に入った。明るい光がカーテンの隙間から差し込む居間に足を入れると、部屋の真ん中のテーブルに突っ伏して眠っている史がいた。 史は昨晩の服装のままだった。 静かな寝息をたてる史にそっと近づき、弘海は後ろから軽く肩に触れた。すると、がばっと起きあがり、史は振り返った。 「弘海・・・」 「こんなところで寝たら風邪ひ・・・」 途中で言葉を遮り、史は弘海の首に抱きついた。そして、いつもよりずっと低い声で呟いた。 「どこ行ってたの」 「・・・客と・・・泊まりで・・」 史は弘海の顔をぐいっと引き寄せ、無理矢理キスをした。史にしては珍しい、噛みつくようなキスに、弘海は史の怒りを感じ取った。唇を割って史の舌が弘海の舌を引っ張り出した。史は身長差のある弘海の身体を考えられない力強さで押さえ込み、冷たい床の上に押し倒した。 「史・・・?」 「信じられない」 「おい・・・」 「電話も出ないしメールも返ってこないし」 「史、ちょっと待て」 「帰って来ないかと思っ・・・・」 史と暮らすようになってから、弘海は外泊を控えていた。最初は心配で、そしてそれは次第に、弘海自身が史の側を離れられなくなったという理由に変わった。 史は、弘海の身体に覆い被さった。史の身体から、ほんのりとあの甘い香りが漂ってきた。弘海は自分の胸に顔を埋める史の髪を、優しく撫でた。 「・・・耐えられなかったんだよ」 「・・・え?」 「お前が客を取ってるのを見てられなくて・・・」 「ちゃんと・・・やったよ」 「だから・・・それが見てられないんだよ」 「そんなの同じだから!」 「えっ・・・」 弘海の顔を両手で抱いて、史は声を震わせて言った。 「弘海と暮らすようになってから、ずっと我慢してた。お客さんが弘海にキスしたり触ったりするの見てるの、俺が平気だと思ってた?」 史は上からもう一度弘海に唇を重ねた。弘海は言った。 「俺はこの仕事もう7~8年やってんだ。お前が思っているより・・・強いんだよ。割り切ってるし・・・」 「弘海は割り切れても、ただ見ている俺には無理だった。だから、自分も割り切って仕事にしようと思った」 「お前と俺は違うんだよ。お前はいずれちゃんとした仕事に・・・」 「・・・まだそう思ってるんだ」 「・・・・・」 史は、仰向けに横たわった弘海から離れ、ゆっくり身体を起こした。 そして弘海に背中をむけて、言った。 「弘海がどう思っても、やるって決めたから。慣れてよ。俺も・・・慣れるようにするから」 史、と弘海が呼んだが、史は応えず寝室に一人で入って行った。 窓の外は、すっかり夜が明けていた。
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