偶像

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 選ばれた者は何をしてもいいというのか?  私は主たる神に与えられた土地で、土を耕し、作物を育て、天と大地に感謝し、己が役割をまっとうした。其処で得た多くの収穫物を供物として捧げることに何の恥じることがあろう。  しかし、主は私の供物を受け取らなかった。  弟が捧げた子牛は喜んで受け入れたのに。  この大地で丹精した作物ではなく、供物が子牛でなくてはならないなら、主は何故それを最初から私に告げないのか。  畑を耕す役を私に、羊を飼う役を弟に与えたのは主だというのに。  そも、主も父も母も、これまでもすべてに於いて私ではなく弟を選んだ。はじめから、弟だけを。母に慈しまれ、父に守られ、主に愛され、驕慢にも輝くばかりの笑顔を振り向ける弟に、私は顔を伏せた。  正しいことをしているなら顔を上げろと主は言われる。なんという屈辱か。晴れの日も雨の日も風の日も耕地を守り、神と大地と恵みに頭を垂れていた私が、正しくないことであるはずがない。  だのに、私が正しくないのは何故か?  それは主が私を「正しくない」とされたからだ。  正しいかどうか、主の心に叶うかどうかを定めるのは主の御心。私ではない。弟でもない。主が弟を選び、私を貶めたのだ。最初から私のことなど入れるつもりも愛すつもりもなく。    で、あるならば。  間違っているのは貴方だ。  主よ、貴方から永遠に弟を奪ってみせよう。
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