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「ハァ」
夕方、台所の脇を通りながら、財布を手に、大きなため息をこれみよがしに吐く。
夕食を作るお母さんへの、"お小遣いが足りません"アピールだ。
台所の入り口でおもむろに立ち止まり、お母さんを窺う。
「ねえ、お母さん、お小遣い――」
「今月はもうあげないわよ」
お小遣いの要求をしようにも、取り付く島がない。
「ケチー! アズサが家のお菓子独り占めするから、おやつを買わなきゃいけなくなったんだよ。大体、あの子がお姉ちゃんの作るおやつをいらないなんて言ったから、こんなことになったのに!」
「まゆみ、お母さん、夕ご飯作りで忙しいの。きょうだいで起きた問題は自分達で解決なさい」
「えー」
不満の声を上げると、ジロ、と睨まれた。
ヤバイ。これ以上食い下がると、お母さんの機嫌が悪くなる。
逃げるように台所から立ち去り、弟のいる居間とは逆方向の階段へ向かう。
今のところ、上の階に用はない。だから、階段の前で立ち止まったまま、なんとはなしに上の階にあるお姉ちゃんの部屋を見上げた。
(あーあ。今なら、手作りのお菓子があそこにあるのに)
今、お姉ちゃんの部屋には、お客さんが来ている。
客は若い男の人だ。
男の人と言っても、別にお姉ちゃんの彼氏などではなく、家庭教師だけれど。
(あの先生、苦手)
週三度は家に来ている人だが、家庭教師初日の挨拶以降、話すことは疎か、姿を間近で見ることさえなかった。
朧気に覚えている先生の第一印象は、七三分けと黒い半縁眼鏡なんて、若いのにおじさんみたいなセンスだと思ったくらい。
あと、口数が少ない上に、端的な話し方をする人だった。
イメージとして近いのは、お堅くて厳しい、生徒に陰口を叩かれるような教師。
正直、一緒にいたら叱られやしないかと萎縮してしまいそうだ。
(お姉ちゃん、「素敵な先生よ」なんて言ってたけど、本当かな)
私は正直な話、いけ好かないんだけど。
だって、おやつの日がなくなった今、お姉ちゃんのお菓子を食べられるのは、お姉ちゃんとあの人だけなんだもの。
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