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思えば最初から奇妙な話だった。
真夜中の新宿駅、階段の影に身を隠し終電電車を見送りながら瑞樹がそう思った。
しかし美味しい話でもあった。
下らないケンカで高校を停学処分になり、その件で両親とも喧嘩になった瑞樹は逃げる様に家出した。最初は友人の家を渡り歩き宿としていたが次第に居づらくなった。漫画喫茶に泊まっていたが手持ちはすぐに底をついた。
瑞樹は碌にアルバイトもしていない。高校生になったのだからスマホ代くらいは自分で払えと両親からは言われているが、働くどころか小遣いを貰い遊興費を賄っている。アルバイトなんて馬鹿馬鹿しいとまで思っている。
自分は特別な人間だと思っている。
別に何かを成し遂げた訳ではない。勉強は苦手だった。何かスポーツに打ち込んでいるわけでもない。足は速かったが根気がなく努力が苦手だった。何かを続ける根性もなかった。
他人を揶揄し、気の利いた皮肉の一つも吐けば自分が一角の人物になったかのように思えた。
ただ漠然とした自負心だけがあった。
自分は世界で唯一人の偉大な才能を持った人間であると。
言ってしまえばそれは誰もが罹る麻疹のような感情なのかもしれない。しかしそうと気付くのは何時だって後から思い返した時である。
そして天才である自分の時間は黄金より価値があると信じていた。だから地道に働くことや何かを勝ち取るために地道な努力を冷ややかに見ていた。
しかし家出を続けるにあたりどうしようもない現実に突き当たった。
金がない。
金がないのである。
もう手持ちでは牛丼一杯とて食べられない。
まず野宿することを考えた。しかし最近、都内で頻発している若者の失踪事件の噂が瑞樹にそれを躊躇させた。それでなくとも温室育ちの瑞樹には到底耐えられないだろう。季節はまだ肌寒い日も多い。
家に帰ることももちろん考えた。家に帰って、両親に頭を下げる。しかし思春期特有の繊細な自尊心が瑞樹にそれを許さなかった。
ならばとるべき手は一つ。稼ぐしかない。しかし地道な労働に耐えられる性質ではない。
そんな時インターネットを漁っていた瑞樹の目にある募集が飛び込んできた。
概要はこうだ。終電の過ぎた新宿駅に集合。軽作業。日当三十万円。
どう考えてもまともではない。普通なら歯牙にもかけないだろう。しかし瑞樹は違った。彼は天の助けだと思った。選ばれた人間である自分の運命だと。そう思えるだけの能天気さが彼にはあった。
とにかく、そうした次第で彼は深夜の新宿駅にいた。
終電を見送り駅員から身を隠してホームに潜伏している。一時間ほど経ったところでSNSにメッセージが入った。アルバイトの連絡先として登録したものだった。メッセージは雇い主からの指示だった。
同時に、終電の過ぎたホームに一本の電車が入ってきた。
行先表示には何もない。回送とすら記されていない。車体も見た事のない種類だった。
怪しげな気配を察し、瑞樹の背に淡い緊張が走った。
音を立てて電車の戸が開かれた。
一瞬だけ、躊躇した。
しかし彼はメッセージの指示に従い電車に乗り込んだ。
乗り込んで、しまった。
当たり前だが車内に人影はなかった。
ならばこれ幸いと椅子の端に瑞樹は乱暴に座った。能天気な男である。そのまま手持無沙汰になった彼はスマホを取り出してゲームをし始めた。しかしやり飽きているしそもそもゲーム性の浅薄なものでそれにも気が倦んでしまった。そこでSNSで自分の現在の状況を実況することにした。
するとすぐに彼の身を案じるようなメッセージが届いた。しかしそれに対して彼は殊更に粋がって見せた。
少しして、電車がその車体を震わせた。発車が近いのだろう。今まさに扉が閉じようとしていたその時、一つの人影が社内に飛び込んできた。
中年の男だった。鼠色のスーツを身に纏った中肉中背の男。慌てて駆けこんできたのか肩で息をしている。
瑞樹は彼を一瞥するとほくそ笑んだ。
――な、やっぱりだよ。
友達から身を案じる言葉をいい加減に鬱陶しく思っていた瑞樹は自分の同行者を見つけて自分の正しさを確信したのだ。
――馬鹿どもめ。
やっぱり自分が正しかった。馬鹿どもめ。俺はお前らみたいな凡人とは違う。
その時、電車の戸が閉まった。
するとすぐに電車は車輪を軋ませながら発射した。
傲慢さと愚昧さを乗せて、運命はゆっくりと進む。
少しして、瑞樹は奇妙だな、と思った。発車間際に駆け込んできた中年男性だ。
彼は空いた車内にあって椅子に腰かけずにドアに体重を預けて立っていた。乗客は彼ら二人、遠慮する必要などどこにもないだろう。
微かな違和感。しかし瑞樹は一瞥した後に再び視線をスマホに戻してしまった。
気がつくと雨が降っていた。大粒の雨が車体を叩く。
不意にその時、リンクを踏んでしまい意図しないページが開かれた。
ニュースサイトだった。
画面には最近の失踪事件に関する注意喚起の文字が躍っていた。
『怪しい高額バイト』『被害者はスナッフビデオに出演』『郊外で惨殺死体が発見』『家出未成年が標的か!?』
「馬鹿馬鹿しい……」
吐き捨てて画面を閉じた。
張っているのが虚勢だとうっすらと自覚する。軋む椅子、窓を叩く雨音、レールと車輪の擦過音。その中にあって心が冷えるほどの静寂に車内は包まれていた。
何となく目をやると中年は変わらずに、張りついたようにドアを背に立っていた。
唾をのんだ。その音が妙に大きく耳朶に反響した。
そういえば、と。
気付いてしまった。
電車に乗って既に四十分近く経っている。しかしこの電車は一向に止まる気配がない。目的地は一体どこなのだろうか。
焦燥感に似た落ち着かない不安感が足元から這い上がってきた。
自分を落ち着かせるためにスマホを開いた。仲間と今は何でもないことを話したかった。
しかし
「え?」
画面に目を落とすと圏外になっていた。
慌てて窓の外に視線を巡らせるが相変わらずに雨がガラスを打っている。
地下ではない。でも圏外。
スマホの故障か?
「どうなって……」
「ようやく気付いたか」
「え」
声を掛けられて顔を上げるとそこには見知らぬ顔があった。いつの間にか中年が瑞樹の前に移動していたのだ。
「ひっ」
喉がつぶれたような悲鳴を漏らして椅子から転げ落ちた。そのまま尻もちを突いたまま中年から遠ざかるように後ずさる。
「……待て。私は」
中年が何かを口にしようとしたその時、突然車内放送が鳴り響いた。
初めはノイズ混じりの雑音。
しかしやがてそれは明瞭な声の形に輪郭を結んだ。
『それでは、今宵のゲームを開始しましょう』
「は?」
瑞樹は眉を潜めた。
なんだこの状況は、まるで漫画だ。
背後で物音がした。振り返ると車両と連結部分を隔てるドアが開かれていた。
そして何か小さなものが蠢いている。目を凝らすとラジコン車にピエロの人形が乗っていた。
間の抜けた駆動音をあげてラジコン車はゆっくりと瑞樹に近づいてきた。そしてスピーカーが仕込まれているのかピエロから声が聞こえた。
『は?じゃないよ。ゲームだよ。ゲエム』
馬鹿にするように、あるいは幼子を諭すような調子だった。。
『ちゃんと軽作業って書いてあったはずだよ。ああ、安心して、ちゃんと報酬は払うから。三十万。もっとも』
ピエロから忍び笑いが漏れた。
『生きてこの電車から降りられれば、だけどね』
「テメッ、何言ってんだ」
『ルールは簡単だ』
瑞樹を無視してピエロは続けた。
『君たちはこのまま歩いてこの電車の先頭車両へ行ってもらう。無事に到着すれば君たちの勝利だ。解放しよう。ただし』
アヒャヒャヒャヒャっと哄笑が漏れた。悪意に満ちた嫌な笑い方だった。
『ただし君たちには途中で三つの死のゲエムをしてもらうよ。さあて、果たして生きて帰れるかなぁ?』
「さっきから何なんだよお前、ふざけんな!ボケが」
『アハハハ、ふざけるな?面白い事を言うね。ピエロ、道化師を何でジョーカーって呼ぶか知ってるかい?ジョークばかり言うからジョーカーって言うんだよ。そうとも』
口調は軽いがそれゆえにうすら寒いものが瑞樹の背を舐めた。
『ジョークなんだよ。このゲエムも。そして君たちの命も。ならせめて腹が千切れるくらいに笑わせてくれよ』
「なっ……」
瑞樹は絶句した。自分の置かれたあまりにも異常な状況に思考が白色化したのだ。しかしすぐに怒りが込み上げてきた。
「ふざけんなぁッ!」
立ち上がってピエロを蹴っ飛ばした。
「誰がテメェ言う事なんて聞くかよ。この電車から降ろせ!!」
ラジコンカーも蹴っ飛ばすと音を立てて転がっていった。
『言う事を聞かない?』
蹴っ飛ばされたピエロはむくりと起き上がった。
『それは残念だ』
「何が残念なんだよ」
踏み潰して破壊してやろうと瑞樹はピエロの方へ歩き出した。しかし
「あ?」
いつの間にかピエロの手には拳銃が握られていた。
『君はもう要らない。君の命ももう、僕には要らない』
ゆっくりとピエロは銃口を瑞樹に差し向けた。
「ハッ」
瑞樹は乾いた笑いを漏らした。
「ハッ、そんなオモチャで俺がビビると思って……」
続く虚勢を銃声が遮った。ピエロは天井に向けて発砲した。銃口から硝煙が立ち上り、その先では天井に小さな穴が空き、その周りがひび割れていた。
『ジョークだよ』
再びピエロは銃口を差し向けた。
「ひィッ!!」
瑞樹は腰を抜かした。呼吸が乱れ両目が涙で滲んだ。
「や、やめて」
『バイバイ』
ピエロは引き金を絞り、瑞樹は目を閉じた。間もなく銃声が走り瑞樹の命を奪うだろう。
しかし――
「そこまでだ」
その前に鋼の破砕音が響き渡った。
「え」
目を開けると破壊されたピエロがあった。下半身のみを残し上半身は粉々に粉砕されている。目を凝らすとその向こうに小刀のようなものが突き刺さっていた。
「えっ?」
思わず後ろを振り返る。するとそこにはさっきの中年の姿があった。彼は投擲を終えて腕を振りぬいた格好をしていた。
「あ」
喉がひりついた。
「あんたが、俺を助けてくれたのか?」
男は無言でうなずいた。
「じゃ、じゃあ、あんたは一体?」
そしてその素性を尋ねると答える代わりに自らの纏うスーツの肩の所を掴んだ。そして一気に脱ぎ捨てるとその正体を露わにした。
おこそ頭巾に覆い顔を隠している、しかしその下の眼は赫奕と光を放っている。赤黒い上衣に細めの袴、手甲に脚絆で武装している。
そう
男は忍者だった。
「に、忍者……?」
男は首を振った。
「私は忍者ではない」
男は忍者ではなかった。
「私は公安警察の職員だ。内閣情報国家裁断室、naikaku information national Juridical associationの」
「こ、公安?」
「そう、通称NINJA」
男はNINJAだった。
「そ、そのNINJAが一体なんだって……?」
瑞樹が尋ねるとNINJAの男は事情を明かした。
最近、都内で頻発している若者の失踪事件を追ってNINJAの男は瑞樹と同じアルバイトに行きついたのだった。
「調査の結果、この悪趣味なゲームを主宰しているのは単独犯であることを突き止めた。つまり、この電車を運転している者がそうだ」
「な、なんでそんなことを言えるんです?」
瑞樹は、気がつくと敬語になっていた。
「さっきのピエロだ。ここには無線の妨害電波が出ている。あまり遠くからラジコン人形を動かすことはできない」
「な、なるほど?」
「私はこの国を蝕む悪を処断したい。君も協力してくれないか」
「きょ、協力?」
「なに、君に危害は及ばせない。降りかかる火の粉はすべて払うと約束しよう。ついてきてくれるね?」
「は、はい」
こうして、瑞樹はNINJAと協力して先頭車両を目指すことになった。
連結部分を渡って次の車両に入るとドアがロックされた。
瑞樹は慌てて取っ手を捻るが開かない。どうやら後戻りは許さないらしい。
一方のNINJAは一顧だにせずにじっと前を睨んでいた。
車内放送が入った。ピエロの男だろう。
『フフフ、それではゲエム開始です。まさか公安が忍び込んでいるとは思いませんでしたよ。私を逮捕するためにも精々頑張ってください』
「御託はいい。疾くゲームとやらの内容を話せ」
『フフフ』
空気を読んで瑞樹は黙っていた。
微かな物音がした。すると座席の影から小さな飛行物体が飛び上がった。四つのプロペラで飛行する無人航空機、ドローンだ。ドローンの下部には水鉄砲のようなものが取り付けてあった。
『先ほどはピエロくんに随分なことをして下さりましたね。そのご自慢の暴力性、如何なく発揮してくださって構いませんよ、忍者さん。的当てゲエムです。このドローン群を全て撃ち落としてください。そうしたら次の車両への扉が開きます。ふふふ、ですが気を付けてください。ドローンもやられっぱなしではありませんよ。濃硫酸を発射します。ドロドロに溶かされる前にクリアできますかね』
NINJAは鼻を鳴らした。
「一つ訂正しておこう。私は忍者ではない――……」
その右腕が小さく中空を走った。すると寸毫の間もなくドローンの一機が落ちた。撃墜されたそれには小さな金属片が突き刺さっていた。忍びの者が使う刃、手裏剣だ。
「NINJAだ」
『フフフ、ゲエムスタート』
口火を切ったようにドローン群が一斉に殺到した。
NINJAは懐に手を突っ込んだ。引っこ抜くと両手の指の隙間という隙間に手裏剣が挟まれていた。
短く息を吐きながらそれを投擲する。放たれた八発は正確にドローンを撃墜していく。
すぐさま次の手裏剣を取り出す。投げる。取る、投げる、取る、投げる、取る、投げる。
「不味い、NINJA。無理だ。数が多すぎるよ」
瑞樹が叫んだ。
ドローンは瑞樹たちが入ってきたのとは逆の扉方から飛来する。NINJAはそれを迎撃する。だが徐々に押されている。殺到するドローンは百を超えている。最初は飛翔直後を撃ち落としていたが徐々に墜落地点は瑞樹たちに寄っている。現在では車両の中央付近にまで押し込まれている。
「クソ、俺にも何かできれば……」
NINJAは一瞬だけ瞑目した。そしてすぐに目を見開いた。
「大丈夫だ。こうなったら仕方ない。忍術を使う」
NINJAは断固として言い放った。
「忍術?」
瑞樹は聞き返した。
人並みに漫画やアニメを嗜む彼にも聞き覚えがあった。忍術。忍びに伝わる秘術。思わず唾をのみこんだ。
「それは凄い。というか忍術って、やっぱりあなたは忍者なんじゃ……」
「行くぞ!!」
瑞樹を遮ってNINJAは気合の雄叫びを上げた。
「分身の術!!」
瑞樹は息を呑んだ。NINJAは複雑なハンドシンボルを行った。
そして次の瞬間。それまでの倍の速度でドローンを撃墜し始めた。
「え?」
その光景に瑞樹は目を見開いた。NINJAは分身していたからではない。NINJAが分身していなかったからだ。
そう、これが分身の術の秘奥。一人が二人に増えることなどできるはずがない。だからNINJAは頑張ってそれまでの倍、動いたのだ。
「終わりだ」
十六発の手裏剣が最後の機体群を撃ち落とすと同時に次の車両へのドアが開いた。
「凄い」
瑞樹はその姿に感動を覚えた。確かに期待していたような奇跡ではなかった。だが頑張ることで限界を超えた。その姿は美しいと思った。
これまで自分は世界で唯一人の特別な人間だと思ってきた。だがその自分にああやって頑張ることが出来るか?
瑞樹の心に己を恥じ入る心が芽生えた。
次の車両に入ると、やはり扉をロックされた。
『……なんだお前は滅茶苦茶だ。というかお前はやっぱ忍者なんじゃないか!?』
「NINJAだ」
ピエロの男も少し同様しているようだった。
『まあいい気狂いめ。次は知力のゲエムだ』
よく見ると車両の中央にタブレットが置かれていた。画面にはクロスワードパズルのようなものが表示されている。
『簡単なパズルですよ。それはとくと一桁の数字になります。扉を開けるにはそのパズルの答えを扉の端末に入力すればいい。私は太っ腹ですからね。回数制限なんてケチなことは言いません。もっとも』
忍び笑いが漏れた。
『失敗するたびにその車両には毒ガスが噴射されます。人間が生きていられるのは精々間違い二回程度でしょうね』
「質問をする」
『フフフ何です?』
「答えの入力は何度でも行えるのだな」
『ええ、ですが実際には……』
「ならいい」
NINJAはおもむろに窓際に立った。そして腕を振りかぶり
「忍術……」
忍術を行った。
「ニンジャナックル!!」
忍術というかニンジャナックルだった。最期のルはちゃんと巻き舌だった。ナックルというよりナッコゥといった発音だ。きっと彼はネイティブなのだろう。
振りかぶって放たれた拳は正に鋼の破壊衝動。分厚い強化ガラスを一撃で粉砕した。
そして
「ニンジャナックル!!」
別の窓に移動して繰り返す。すぐに車両の窓という窓は砕け吹き曝しになった。
彼が何を考えているのか瑞樹には分からない。吹き込む雨風で寒かった。
『ちょっ、貴様何をしている』
「これで換気十分。何度でも試せるな」
『あ』
「おお」
唖然とするピエロと喜色を滲ませる瑞樹。対照的な反応には目もくれずにNINJAは入力を行った。やり直すたびに気体が噴射される音があったが噴射直後に外気に希釈されてしまう。
結局、七回目で扉が開いた。
NINJA、なんてクレバーなんだろう。瑞樹は思った。
次の車両に入った瞬間、悪寒が走った。咄嗟に飛んだ。
すると出入口に巨大な塊が突っ込んできた。
「なんだなんだ」
後ずさる瑞樹の前に巨塊が立ち上がった。
羆だった。体長は三メートルほどだろうか。
『はっはっは、そいつは人食いだ。いくら忍者と言えど野生の熊には敵うまい。私のゲエムを台無しにした罪を命で贖え』
クロスワードの一件が気に障ったのかピエロの男は激した。
しかし、NINJAは泰然としていた。
「お、おい。熊だぞ。どうするんだよ」
瑞樹は慌てた。羆は人の五倍以上の膂力を有するという。更に分厚い脂肪は鎧となって身を護る。NINJAとて果たして攻撃を通すことが出来るとは……。
「洒落臭い」
NINJAは構えた。
「奥義」
瑞樹は固唾を呑んで瞠目した。忍術の奥義、炎を操る火遁、天候を操る天遁、水を操る水遁。このNINJAの奥義とは果たして如何なる奇跡なのか。
「ニンジャビーム」
ビームだった。
見開いた瑞樹の目が光に眩んだ。物理的に。
NINJAの瞳から放たれた眩き光線は一直線に羆に向かって走った。その破壊力、正に極光を引き裂いて狂奔するスペクトル。
直撃した羆は一瞬で蒸発した。
凄い、凄い威力だ!!ニンジャビーム!!
「終わりだ」
NINJAは瑞樹が状況を飲み込んでいる間に先頭車両から運転席に乗り込みピエロの男を引きずり出してきた。
こんなとんでもないことをしていながら、何人もの若者を毒牙に掛けてきた恐ろしい男なのに、なんて事のない普通の中年だった。
「な、なんだよ、ふざけるな。どうせどいつもいつ消えても構わない凡人どもだろう。俺は違う。奴らは天才の俺の慰めになったことを喚起すべきだ。世界で唯一人のこの俺のッ!!」
その言葉が瑞樹の胸に刺さった。
かつての自分と同じ、自分は世界で唯一人だと思いあがる増長天。
ああ。
瑞樹は思った。
この男は俺の末路だと。
そこで頭を振った。今は違う。
今日のこのことで分かったから。
俺は唯一人の特別な人間じゃない。当たり前の危機に当たり前に取り乱す普通のありふれた人間だ、と。
だからこれからは只の一人の人として生きていこう。その勇気を持てた。
勇気をくれたNINJAに視線をやる。
彼は先の言葉で激怒してピエロの男にマウントポジションを取りハンマーパンチを振らせていた。
再び頭を振った。
今日、この後、家に帰ろう。帰って両親に詫びようと思った。
そこで思い当たる。金がない。
家出で手持ちは底をついた。今月の小遣い無しは流石に辛い。
しかし、当たり前に思う。
働こう。
金がないのだから、働こう。
雨が上がった夜空を見上げた。
何故か妙に清々しい気分だった。
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