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『オリンピア』
5月26日(木、祝日)
キリスト昇天祭の祝日。
教会へ行くのは大体午前中だ。
アーサーとシルビアの2人は順調に文通を続けていた。
今日の夕方、久しぶりにシルビアと会う約束をしていた。
イヴィが映画館で会えるよう取り計らってくれたのだ。
イヴィもシルビアと直接会って、”打ち合わせ”をしておきたかった。
家族には「友達のイブリンと映画を見る」と説明するように、シルビアに言ってある。
映画が始まればロビーに人はいなくなる。
見計らって、ロビーに出て話が出来る。
映画終了時間までだが、貴重な時間だ。
2人に指定席を取って置いていた。
先にアーサーが座席で待つ。
シルビアが来たら、消灯してからイヴィが座席に案内する手はずだ。
アーサーはシルビアが来てくれるか心配だった。
ドイツ映画の『オリンピア・第二部』(日本タイトル、『美の祭典』)を上映していた。
『オリンピア』(Olympia) は、1938年にドイツで製作された二部作からなる1936年ベルリンオリンピックの記録映画である。
監督はレニ・リーフェンシュタール。(※)
開会式から男子マラソンまでの21種目、9日間の記録が「第一部」(『民族の祭典』)。
陸上競技以外の17種目から16日の閉会式までの記録が、「第二部」(『美の祭典』)として公開された。
レニ・リーフェンシュタールはナチスの党大会の記録映画『意志の勝利』を監督した、アドルフ・ヒトラーのお気に入りの監督であり、映画撮影は基本的にナチスの全面的な協力のもとで行われた(宣伝相のヨーゼフ・ゲッベルスとは撮影をめぐり何度も対立したという)。
1年半の編集期間を経て1938年に公開された「Olympia」は、映像美と斬新さが世界中から絶賛を受け、ヴェネツィア国際映画祭で最高賞(ムッソリーニ杯)を獲得した。
(※)【レニ・リーフェンシュタール】
女優、映画監督、写真家。
ベルリン生まれ。
1923年、表現ダンスのダンサーとしてデビュー。
一時はドイツ舞踏界を代表するスターと注目されたが、ステージで膝を負傷してダンサーの道を断念する。
次に映画界に転身し、女優になる。
アーノルト・ファンク監督に認められて山岳映画(《聖山》1925,《死の銀嶺》1929,《白銀の乱舞》1931,等々)に主演。
ハンガリー生れの映画脚本家・理論家ベラ・バラージュの協力をえて,イタリアのドロミティ地方の山岳伝説を題材にした《青の光》(1932)を監督,主演する。
ヒトラーに信頼され,1933年にニュルンベルクで開かれたナチス党大会の記録映画。
つづいて34年党大会の《意志の勝利》。
36年のベルリン・オリンピック映画(《民族の祭典》と《美の祭典》の二部作)をつくって,ドキュメンタリー映画史上の金字塔を打ち立てた。
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