七月

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七月

 連日の猛暑の中でも敢行される日常で、ホームルームの時間に配られた学校便りに、野球部の甲子園予選落ちの結果が小さく載せられていた。ここは別に強豪校でもなんでもないし、そんなもんなんだろうな、と思いながらも、世間の雰囲気的にはこれが夏の終わりなどを感じさせるのだろうか、とも思ったりする。むしろ真っ盛りの空模様だが。何はともあれ、あとは学校祭と夏休みという大きなイベントを控えて、校内に暗い雰囲気なんてものは落ちていない。期末試験や夏の模試がその前にあるのだが、それはイベントに換算していない人が多いようである。僕はとりあえず志望校でB判定くらいがここで出せれば余裕を持って追い上げできるんだけどな。なんてことをボンヤリ考えながら日々を過ごしていくうちに、試験も終わって学祭準備期間へと突入した。結果が出るまでおたおたしても仕方がない。受験勉強は並行しつつ、僕も少しだけ祭りという非日常の空気を味わう為に空想の世界に飛びがちな頭の焦点をリアルに戻した。 夏休みに入る3日前からの平日をぶち抜いて学校祭は行われる。3年生の僕たちには、これが終わるとすぐに受験の夏が待ち受けているわけなのだけれど、多分多くの生徒たちにそんな現実を見せない為に、この日程でうちの学校最大のイベントは実施されるのではないだろうか。祭りの後の余韻がフェードアウトしていくのに比例して、次の目標へのエンジンがかかり始める。もしもそんなことを想定して、この日取りを決めたのだとしたら、大人も大したことはないんだな、とむしろ僕は安心できる。大人になっても、絞り出した学級スローガンみたいなものに振り回されるというのは情けなくもありながら、自分がある日突然、今の自分を超越する存在になることを要求されるわけではなさそうだから。 学校祭前日の賑わいは、もしかしたら本番よりも騒がしいかもしれない。制服を着たままで、けれど授業に縛られていないという状況に興奮を覚える生徒は一定数いるようで、鳥籠みたいな学校の中だけであっても、自由を与えられた子供たちは、その大半がイキイキしていた。包み隠さずストレートに言えば根暗に分類されるような種類の生徒たちも、同好会で行う展示の準備に熱がこもっている。もしかしたら大声を出したり、笑ったりしていないけれど、そこら辺の運動部の先導を切っている連中よりも、力が入っているのかもしれない。 僕は何をするでもなく、そんないつもと違う校舎の中をぶらついていた。うちのクラスの模擬店は、材料の買出しに明日の朝早くから行く組とか、当日の店番の当番なんてものは決まって、僕みたいな「とりあえず言われたことはやります。はい」みたいな学生は、前日のこの時間は結構持て余すものなのだ。同じような立ち位置で、校舎内をブラブラしていると思しき生徒を何人も見かけた。 「あれ、三下じゃん」 「菅井か。すごい汗だね。何やってたの?」 「うちのバンド、最終日にライブだから、もう追い上げで音楽室締め切ってリハみたいな。音の苦情来るから全部閉めるのキッツイわ」 前髪からポタリと汗を垂らしながら笑う菅井が少し眩しい。 「そっか。大変そうだね。最終日なんだ。約束したし、ちゃんと聞きに行くから」 「おぅ。待ってる。じゃあもう行くわ。数曲ごとに休憩で、またすぐ練習だから」 そう言って片手に持っていたスポーツ飲料のペットボトルを開けて、ゴクリと大きく飲み干すと、彼は再び音楽室の中へと消えていった。 別に羨むことなんかないじゃないか。僕だって不自由で陰鬱な青春を過ごしているわけじゃない。ただ、ほんの少し。時々ああいう眩しく誰かが見えてしまうことが人並みにあるだけだ。もしかしたら人一倍そうなのかもしれないけど。 菅井の居なくなった廊下には見知った顔も誰もおらず、窓から顔を出して空を見上げてみたりした。これ、下から見上げたら、何かの映画のシーンみたいに見えたりしないかな?なんて浅ましくも一瞬考えてしまったけど、僕だってみんなと同じくらい、憧れや、やりたいこともあれば、やってみたいこともあるし、そしていろんな理由でそれができないことだってある。誰だって大概がそんなものだ。「達観したような顔して」と叱言を喰らうから、誰にもこの胸の内を話したことがないだけで。 みんなこういうモヤモヤをどうしてるんだろうな。眩しすぎた空から室内へと目線を戻し、また行く宛もなくフラつきながら、なんとなくそんなことを考えてみる。そんな僕の横を雄叫びをあげながら、廃段ボールのクズの山に突っ込んで行ったのは隣のクラスの野球部の奴だ。少し髪が伸びて一瞬誰だか分からなかったけれど、間違いない。なんであんなことをしてるんだろう。聞いたら喧嘩を売っているような空気になるのは分かっているので尋ねたりはしないけれど。僕もあんな風に叫んで飛び込んだりしたら、すっきりするものがあるのだろうか。 学校祭三日目。僕は菅井と約束した通りに体育館に巨大な機材が並んだ即席ステージの客席にいた。人が少なかったら前の方に行った方がいいかな。なんて少し気遣いのつもりで考えていたけれど、その心配は杞憂だったようで、ステージの前はスタンディングの観客がギュウギュウ詰めになっていた。だから僕は体育館の後ろ半分に並べられたパイプ椅子の最前列に陣取って、熱気とは距離を置きながらも約束は果たしたし、自分なりに結構楽しんだりもした。けれど観客の熱狂が予想外で、少しムズムズしたような気持ちでもあったのだけれど。どうやら菅井たちのバンドは、校内だけではなく、ライブハウスなどでも演奏する機会があったようで、固定のファンまでいたらしい。ライブはまるで嵐の海のようだった。荒れ狂う人の波を、波打ち際みたいな場所から、決して海に足を入れることはなく、眺めていただけの僕は、最初から最後まで傍観者だった。それだけの温度差を感じさせてしまうくらい、体育館のステージ側半分と、後ろの椅子席との間には薄い壁が隔たって、熱気を閉じ込めているようで、その中に入っていく資格は僕にはないような気がしてしまった。 今は菅井たちのバンドと次のバンドの交代時間なので客たちもみんな汗で顔を照らしたながらも和気藹々と雑談に講じたりしているが、さっきまでの彼らの放つ熱気は、もしかしたらステージ上の演者たちよりも激しかったかもしれない。うちの学校の学校祭は、他校の生徒や外部からの客も受け入れているので、見慣れない制服やジーパンにTシャツ姿のオーディエンスが押し寄せている此処は、体育館じゃないみたいだ。僕は一体どこにいるのか。そんな感情が湧き上がってきた。教室に帰ろうかな。頭に一度過ってしまうと、その考えがとても楽なものに思えてきて、僕は席を立って、模擬店をやってる教室に帰るために体育館の出口に向かった。 その時、ギターの音が聞こえてきた。ライブではなく、ソロでイントロと思しきメロディラインを繰り返す。綺麗だと思った。騒めきの中に歓声が入り混じり、次のバンドが登壇して音を合わせているのだろうと分かった。その中の1人がギターを弾いている。それだけのことなのに、別にバンドとして音楽が演奏されているわけじゃないのに。僕は振り返った。一体どんな人がこの音の流れを編み出しているのか知りたいと思ったから。その人は華奢なようで、でもどこか力強い印象を持った人で、僕が振り返った後も、当たり前だが今まさに出口に向かっていた客の一人でしかない僕になど構わず、最初のメロディを繰り返していた。歪みとか、エフェクトとか、難しいことは何も知らないけれど、僕はステージへと走った。そしてまだ静かな観客の海へと脚を踏み入れ小走りで、波を掻き分けるようにしながらステージの真ん前まで向かう。辿り着けた場所でも前に三列ほど人波があったけれど、これ以上行くのは無理だ。今はまだ。いつしかその人の手は動きを止めており、僕の耳に溶けた先程のギターのメロディは流れ込んでくることはなかった。 ダーンッ、ダーンッ、、ダンッダンッ!代わりに始まったドラムに合わせて爆音が溢れ出し、観客の海は再び荒れ狂い始める。僕は溺れそうになりながら、ギターの人だけを見ていた。その人がもしかしてこっちを見たりしないかなんて思う暇もないくらい真剣に。縦横無尽に揉みくちゃにされる人の海の嵐の中で、精一杯息継ぎしながら、その人を見続けた。嵐のような爆音の中から、先ほどのギターの音色を探そうともがいた。
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