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九月
「渡部 ギター xx高校 学校祭 ライブ」
スマホで開いて検索エンジンの窓に打ち込んで検索ボタンをタップする。多分もう数十回、いや百回は超えただろう、この行為。
残暑厳しい九月の夜長、受験生の僕は暗記に費やしていた深夜の時間を、検索に費やす割合が少し増えた気がする。それも受験とは全く関係のないことの。
僕にまとわりつくメロディの正体は菅井に尋ねてもわからなかったけれど、代わりにそのメロディの産みの親の正体がわかった。「渡部さん」というらしい。3年生である菅井が「さん付け」で呼ぶということは、歳は僕らよりも上なのか、それとも同い年か。少なくとも歳下という線は消えたと思う。だからなんなのだと言われたらそれまでのことで、本来であればそれが渡部さんだろうが山田さんだろうが、僕には大きな問題ではなかったはずなのに、こんな風に「ギター」「ライブ」「学校祭」なんてキーワードと絡めて、あの人の写真やフルネームでも知ることができないかと探し続けている。一歩間違えればネットストーキングだ。未だかつて、あの人に繋がる情報の欠片さえも入手できていないので、全て未遂で終わるだろうけど。
それでもだからといって、やっていいことと悪いことがある。頭では分かっているのにやめられないのだ。だって今でも僕の頭の中では、あの日のあの人の姿と音が隙あらばと鳴り続けるから。時間が経つにつれて美化されていく記憶は恐ろしいもので、物凄く美しかったような気が最近じゃしている。あれはもしや神が降りた舞台だったのではないか、とか。いや、推しているアーティストを「神」と呼ぶ人が存外に少なくない数でいることは知っているが、まさか僕は自分がそんな風に誰かや何かを思う日が来るとは思ってもいなかったし、戸惑いの連続である。悔しいのは、これらの全ての僕の中の戸惑いや想像は僕だけのものであって、もう一方の当事者であるはずの「渡部さん」の全く知らないところで起こり、進んでいるという事象である。僕の独り相撲状態だ。僕だけがあの人を探し求めて、何のあてもない砂漠を彷徨っている気分になる。それを世間ではストーカーと呼ぶのか、はたとその事実に気付いて僕は僕の思考回路にゾワっとした。
でも僕は僕の意外な一面に鳥肌を立てているのとは別の場所で、やはりあの日のあの人の姿は何らかの神秘性を持っていたことは否定できないとも思った。遥か古代、言葉も言葉じゃなかったような時代で、文字すらまともに持っていなかった人類たちも、音楽はきっと持っていた。歴史の教科書を開けば、それを証明してくれる。豊穣や、天災への祈りなど、意味合いは時と場所によるのだろうけど、太鼓を叩いて踊り回る棒人間の絵は世界中の遺跡が持っているのだから。日本だって同じだ。そして現代だって、それは同じなはずだ。あの日のあの人の奏でたメロディは、意味があったかないか、誰が作曲したものなのかどうか、曲名さえも分からないのだけれど、僕という1人の人間の精神をここまで震わせて、絡みついて、まとわりついてきている。たった一本のメロディなのに。そんな事態を引き起こした人間のことは、やはり神と呼んでも差し支えはないのではないか。そういえば、先に僕にまとわりついてきたのは、あの人の産んだメロディの方だった。だったら今、僕がこうしてあの人のことを少しでも知りたいと、SNSや検索エンジンであれこれしていることもチャラにはならないだろうか。それは無理があるか…僕は溜息をついて椅子の背もたれに寄りかかる。ギシリと少し痛んだ家具の音がする。秋の夜は長い。参考書を開いて僕はスマホをようやくベッドに投げ捨てることに成功した。
夏休みの明けた学校は、どことなくピリピリしていた。推薦組はもう受験は始まっているだろうし、下手すれば終わっていて楽観的な生徒も何人か見受けられるけど、少なくとも教室内の空気は夏休み前の学校祭前とは違うものに感じられた。祭りの後の寂寞とも違う、むしろそのようなノスタルジアとは無縁な、未来へと向けた闘いの火蓋が、音も無く切って落とされたような気配。僕たちは何処へ向かっているのだろう。それはきっと各々しか知らないし、もしかしたら知っているつもりで誰一人誰のことも知らないのかもしれないけど。このあまりの静けさと、日常を取り繕ったような顔の並ぶ教室の下で、明らかに緊張を増した時の流れを感じると、静かに港を離れる船を思い描いてしまう。それは一つ間違えれば漂流と似ている危うさを持って、僕らの夏の終わりを乗せて、止まることなく進んでいた。
「約束通り来てくれてたんだな」
聴き慣れた声に振り返れば菅井がいた。
「そりゃ行くよ」
「来ないんじゃねえかと、ちょっと思った」
笑いながら僕の横の空いた席に座る彼に、ほんの少しジクジクした思いを抱く。僕はそんな風に、休み時間に空いている誰かの席に気軽に座ることなんてできないから。
「ひどいな。ちゃんと行ったよ。でも俺なんか行かなくても大盛況だったじゃん」
「あー、外部の人にも声はかけてたけど、本当に来てくれる人って、何人いるのかなぁとか思っちゃって。校内の客頼みだったんだよ、内心じゃ」
贅沢な悩みを持った男である。
「ところでお前、珍しいよな。夏休みの夜中にいきなり渡部さんのこと聞いてきたりして。普段、連絡しても返事遅いような、お前が」
きた。恐れていたことを聞かれた。だが、あんなことをして、不審に思われないわけはないだろう。ちゃんと答えは用意しておいたから問題ない。
「いや、その人はどうでもいいっていうか、その人が弾いてた音がなんか頭から離れなくてさ。聞き覚えがあるような。それでスッキリしなくて、勉強集中できなくなって、深夜のテンションで送ったんだよ。寝てたりしたんだったらごめんな」
完璧な回答である。あくまで俺が気にしているのは音であり、人ではないのだと、ハッキリ印象づけることがこれでできただろう。
「起きてたからそれはいいんだけどさー、ちょうど俺ら裏でゴチャゴチャやってたから、その音すら聴いた記憶もねえもん。悪いな。」
「いいよ、大したことじゃないし」
「でもそっか。俺てっきり、お前あれ見て渡部さんのファンになったのかと思ったよ。だってあの人、格好いいからさぁ。俺らが1年の時に3年だった軽音の先輩だけど。今も専門通いながらライブハウスなんかで弾いてるっていうし、セミプロみたいなもんだろ。凄いもんな。お前、興味あるかと思って渡部さんが今度出るライブのチケットちょっと譲って貰おうと思ったけど、他の奴と行くかぁ」
「え、なに?もう一回あの人の演奏聴けるの?」
「そりゃそうだろ。出るんだから。なに?やっぱ本当はファンになりました系の話?」
ニヤニヤしながら言葉を続ける菅井の姿は予想外だったし、話の内容はもっと予想外だった。
「いや…また演るんなら、あの時聴いたやつもやるかなって。そしたらお前に聞けばスッキリするじゃん?いや、格好よかったよ。それは認める、うん」
「ひゅーっ、珍しい。何にも興味なさそうなのにな、お前」
「あのさぁ、茶化すならやめてくれよ」
「悪りぃ。もう言わねえよ。まあ、じゃあお前も行くんだな?チケット代、っていうか当日払うもんだから。500円でワンドリンクだから、いいか?渡部さんに伝えちゃって?」
「ワンドリンク?しかも伝えるって何?どういうシステム?」
「ライブハウスとかでやる時はチケットのノルマがあるんだよ。まあ、あの人みたいな固定のお客さんいる人は、苦しいもんじゃないみたいだけど。人数とか事前に伝えとく必要あるわけ。ワンドリンクってのは、中入ったら最低でも一杯はジュースでもいいから飲まなきゃいけないんだよ、ああいう場所は」
「要は500円だな?」
「そういうこと」
「わかった、行く」
「時間も日付も聞かずに即答かよ、受験生」
「ああいうのって、夜だろ?」
「予備校は?」
「夏期講習だけだもん、うち金そんなないし」
「金のねえ家は大学なんて選択肢も最初からねえよ。じゃあ、詳しい場所とか日時は送っておくな。10月だから」
「ん、わかった。ありがとう」
模範回答的な僕の返事に対して、まさかのレシーブが返されたわけだが、僕はそれを見事に決め返したと我ながら思う。心臓はパニクってバクバクしてたし、今の会話も500円ってことしか覚えてないけど。でもとにかく、僕はこの心のモヤモヤを打破するかもしれない切符を今、入手することに成功した。最初の音を聴ければそれでいい。あとはその場で菅井に曲名を聞いて、それで全部解決するはずだ。いや、最低限の礼儀として最後まで聴くつもりはあるけど。それは決して、少しでも長く、またあの嵐の海のような雰囲気に呑まれたいわけでも、少し神格化し過ぎた「渡部さん」を見ていたいからでも、そういう理由によるものでは全くない。
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