0人が本棚に入れています
本棚に追加
地平線までまっしろが続くめざめの塩砂漠を、一人黙って歩く旅人がいました。この旅人はずっとずうっと西のサムハラからはるばるめざめの塩砂漠までやってきたのでした。
旅の目的は、夢をこの手でつかむため。これ以外の理由はありませんでした。旅人は昔からいろんなことに興味を持つ子供でしたが、その好奇心は大人になっても変わりませんでした。
サムハラはごく一部をのぞいては、じつにつまらぬ地でした。どこを行ってもけむり要塞ばかりで、サムハラの男は皆大人になったらけむり要塞で仕事をすると決まっていました。だからサムハラでは灰で汚れた服が大人の男になった証であり、身体のやけどが多ければ多いほど自慢になりました。旅人はそんなサムハラで、皆と同じけむり要塞での仕事で一生を終えるような、つまらぬ大人になることが嫌でしょうがありませんでした。だから大人の年齢になったと同時に旅へ出ました。
旅人は道中、いろんな夢をつかんだ人を見かけました。コーヒーの本場イターリの地でバリスタ修行をした店主が開いたカフェ。大地の声が聞こえるパン屋さん。森の小人と友達の花屋さん。世界中の言葉を知っている古本屋さん。仲のよい魔法使いの夫婦。旅人はこのような幸せな人々と出会うたびに、心があたたかくなりました。それと同時に「わたしもはやくこの人みたいに夢をつかまなくては」とあせるのでした。
さて、そんな旅人の追いもとめている夢とはいったいなんなのでしょう。それは、旅人本人にもよく分かってはいませんでした。ただ旅に出れば何か見つかるかも、自分の探している夢というものが、夢のほうから自分に会いに来てくれるはずと願っていたのですが、けっきょく夢は見つかりませんでした。あせりだけが彼を突き動かしていたにすぎないのでした。旅人も薄々気づいていたのです。自分はきっと夢をつかむ者ではなく、夢を見るだけの者なのだろうと。旅人は旅をやめてサムハラに戻ろうかと思っていました。
そんなある日、旅人の耳に一つ、いや二つのうわさが飛びこんできました。なんでも東の果てのヨハムに、二つの夢のような森があるとのことでした。
一つは悠久の森。豊かなナラの木が海のようにおいしげっていて、さしこむ日ざしは、母の胎内に例えられるほどあたたかく、悠久の安心を約束するらしいのでした。そんな森の近くの小川のほとりには悠久の村と呼ばれる農村があって、村人は皆働き者で優しく、旅人にはめいっぱいのもてなしをし、雲のようにやわらかなパンや、今にもおどりだしそうな水々しい野菜のフルコースを提供してくれ、二日三日、畑仕事を手伝ったあとに願い出れば、二つ返事でその村の民として迎え入れてくれるとのことでした。
もう一つは常闇の森。悠久の森とはうらはらに、スギの木が列をなす兵隊のように突っ立っており、森の中は背の高いスギが日をさまたげ、一年じゅう真っ暗です。しかし森の奥の奥の奥のほうに、一本だけ光り輝くブナの木があるというのです。なんでも幹は黄金でできており、葉は錆びつくことのない銀で、磨かれた宝石の実をむすび、まるで女王さまに送る調度品のように美しいきのこが木の足元に生えるらしいのです。常闇の森は夢の森でもありました。
旅人の夢は決まりました。常闇の森で金銀財宝を持ちかえって、悠久の村で幸せな日々を送るという夢です。ことが決まると、さっそく旅人は東へと足をはこびました。ヨハムへの旅はとてつもなく長いものでした。なんたって好奇心旺盛な旅人のことです。道中気になったものがあれば、興味はそっちに行ってしまい、ついつい寄り道をしてしまったのですから。なので本当なら二年で着くはずのヨハムに、六年かけてたどり着いたのでした。
いよいよ自分の夢が眠る地におり立った旅人は、何が起きているのか、まったく分かりませんでした。何故なら、旅人を待っていたのは悠久の森でも常闇の森でもなく、森どころか草の一本すら生えていない塩の砂漠だったのですから。他でもない、このめざめの塩砂漠のことです。
でも旅人は歩みを止めませんでした。何度も言いますが、好奇心が子供の頃からこれっぽっちもおさまる気配がない旅人のことですから、この塩砂漠をすみからすみまで探検しようと思い立ったのです。それどころか森なんて歩いている途中にでも見つかるだろうと、あっけらかんとしていました。
そんな旅人がふと歩くのをやめました。旅人の目の前には、朽ち果てた汽車が線路に放置されていました。旅人はきっと何か面白いものが見れるだろうと、ずっと塩が覆いかぶさった線路の上を歩いていたのでした。汽車は線路の途中で止まっていました。先にも後にも、まだまだずうっと線路は続いているようでした。
旅人はうなり声をあげ汽車に近寄りました。サムハラでも汽車はまったく珍しいものではありませんでしたが、めざめの塩砂漠で見たこの汽車はとても新鮮で、まるで初めて見たものであるかのような、珍しささえも感じたのでした。
朽ちた汽車の煙室扉は開いたままでした。旅人は興味本位で中を覗こうと扉に手をかけました。すると、扉はまるで落ち葉のように砕け散ってしまいました。塩を乗せた風にさらされた汽車は、ひどく傷んでいたのです。
「おうい、あんた旅人かい」
旅人の背後から、しがわれた大きな声が聞こえました。旅人はびくりと肩をすくませ、うしろを振り向きました。そこにはたくましいラクダと、肌を真っ黒に焼き焦がした小さな老人がいました。
「やぁこんにちは。いかにも、わたしは旅のものです。あなたは?」
「俺かい、俺は見てのとおりよ。ほらこれ」
そういって老人はあごで右手に持っているものを指しました。老人はたくさんの塩のブロックをひもに吊り下げていました。どうやら老人は塩売りのようでした。よく見るとラクダの背中にもたくさんの塩のブロックがのせられていました。
「あんた、こんなとこまで何しにきたんだ」
塩売りがしがわれた大声でたずねました。
「わたしはある森を探しているのです。悠久の森と、常闇の森という名です。ヨハムにあると聞いたのですが」
旅人の言ったことに、塩売りは目をまん丸くしました。その直後、岩の転がるようなごうかいな笑い声をあげました。旅人は何がおかしいのか、ふしぎで仕方ありませんでした。塩売りはひとしきり笑うと、腹をさすりながら言いました。
「ああおかしい! やっぱりあんたもかい。ここに来る旅のもんは皆その名前を言いやがるんだ。あんたが探している森は今俺らが立っているここのことだよ。神さんが全部塩に変えちまったけどな」
旅人は塩売りが何を言っているのか分かりませんでした。
「えっ、どういうことですかそれは」
旅人はたずねました。
「どういうことも何も、そのまんまのことだよ。たしかに昔、その森はここにあった。悠久の村のもんは森や小川、自然の恵みを頼りに生きていた。だから村のもんは自然を愛し、手前たちも自然の一部だと思い、自然と寄りそって慎ましく生きていたのさ。でも、とうとうその村の均衡がぶっ壊れるときが来ちまったんだな。ちょいとごめんよ」
塩売りは腰にさげた皮袋に入った水を一口飲み、話を続けました。
「ある日、なんてったかなぁ。まぁいいや。ある日な、なんとかっていうけむり要塞のもんが村にやってきたらしい。なんでも村の後ろにあるキナン平原にどでかい要塞を建てたいらしくて、村に土地をゆずってくれと交渉しにきたらしい。自然を愛する村のもんは当然そんな願い出はことわるわな。でも要塞のもんは引き下がった。とうとう村長はうまいこと口車に乗せられて、平原を渡しちまった。どんな虫が話をしたのかは分からないがよ。まぁけむり要塞の言うことだ。おおかた我々は自然を汚したりはしない、こんな環境に優しい仕事をするよう勤めますよぉ。余分なごみは出したりなんかしません、きたねぇ水もいったんきれいにしてから川に流しますよぉなんてとこだろう。まぁいいや、そんなこんなでキナン平原にけむり要塞が建ったことで、悠久の村のもん、とくにお前さんみたいな若い男どもは、けむり要塞で働くようになった。すると村のもんどもの仕事へ対する価値観が変わった。今までは生活のために野良仕事をしていた村人は、貨幣というバケモンを知ったことで、富のために働くようになった。するとお前さん、どうなったと思う?」
塩売りは一息つくと、また水を一口飲みました。
「どうなったんです?」
「常闇の森に立ち入るようになったんだよ」
塩売りはとたんに声色を変え、静かに言い放ちました。
「黄金の木を求めてですか」
旅人はおそるおそるたずねると、塩売りがごうかいに笑いました。
「そのとおり! ってまぁそれ以外の理由はないわな。そう、夢見がちな若いもんだけじゃなく、年寄りまでもが次々に真っ暗な森に姿を消した。そしてしばらくすると、みんな宝の木を見つけ出せずに、しょぼくれて戻ってきた。それでも森に入るやつらはあとを絶たなかった。みんな目先の富にくらんで、自然をうやまうことを忘れた。そりゃそうだよな、野菜なんて育てなくても、パンはこねなくても金で買えばいいし、要塞の中では毎日毎日何十トンものゴミが捨てられるんだから、自然への愛情なんてどうでもよくなるわな。そんなわけで、我慢していた神さんもとうとう怒って、一夜のうちに村も森も要塞も塩に変えちまったってわけよ」
塩売りはそう言ってカラカラと笑いましたが、旅人は悠久の村の人々がふびんでふびんで仕方がありませんでした。
「要塞のせいで、この地は名実ともに夢を失ったということですね」
旅人は寂しげな声でぽつりと呟きました。しかし、塩売りは呆れるように首を振りました。
「と思うだろ? だがな、俺が知っている伝承からすると、悠久の村だってお前さんみたいなやつにとっちゃ、生きづらい村だと思うがなぁ」
旅人は塩売りの言ったことにいささか疑問でした。旅の途中でも、もちろんサムハラにいたころにだって、悠久の村ほど自分の思い描く理想郷にふさわしいと思った地は、他に見たことも聞いたこともなかったのですから。また旅人は黙って塩売りの話を聞くことにしました。
「悠久の村はな、村のために働いてなんぼってとこだ。日の出とともに働き、日没とともに家に戻る毎日。それが幸せなこと。夢を見ることなんて許さない。だから親族の中に宝を求めて常闇の森に入った一家がいればな、その一家は村八分にされて、肩身のせまい思いをしなきゃならなかったなんて噂も聞くぜ。悠久の村の『悠久』ってのは『仕事さえすれば悠久の安定を保証しますよ』の『悠久』なんだろうよ。な、仕事で一生を使い潰すって点では、けむり要塞も村も変わらないだろ? おっと、俺はそろそろおいとまするぜ。こんなとこで油売ってちゃ、班長にどやされるからな。まぁ俺は油売りじゃなくて塩売りだけどな。ガハハハ! まぁいいや。お前さんもいつまでも旅なんかしていないで、田舎の母ちゃんを安心させてやれよ。それじゃな」
そう言って塩売りはラクダの大きなコブに乗ると、しがわれ声で聞きなれない歌を歌いながら旅人を通りすぎて、続く線路をたどるように遠ざかっていきました。
旅人は聞きたくない事実を聞いてしまいました。自分の追い求めていた夢は、行けばきっと何かが変わると思っていたヨハムの地には、前にも後にも夢なんて眠っていやしなかったのです。
「でも」
でも、人は夢を見てなんぼではないのですか。と塩売りに言い返そうと、旅人は後ろを振り返りました。しかし、そこに塩売りの姿はみじんもなく、朽ちた汽車と、目の覚めるような一面の真っ白があるのみでした。旅人はおどろき、しばらくその場に立ち尽くしていましたが、やがて使われていない線路をたよりに、来た道をとぼとぼと戻っていきました。
最初のコメントを投稿しよう!