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圭人お見合い編
場所は某ホテルのラウンジ。周りのテーブルには人がいない。会話をすれば響くような、静かな空間で、圭人のお見合いはスタートした。
「内川圭人です。よろしくお願いいたします」
初対面のスーツ姿の男に、スーツを着た圭人は腰を折った。相手も頭を下げ、名乗る。
「大堀貴弘です。よろしくお願いします」
良い声だ。囁き声でも聞き取れそうなほど通る声だった。
「座りましょうか」
大堀が悠然と椅子に座り、圭人も慌ててそれに倣った。
圭人は緊張していた。
写真で見るよりも、エリート然としている。話が合うのか不安だ。
圭人はとりあえず目を細め、口角を上げた。
――九月の終わり。
叔母が圭人に見合い写真を渡してきた。
柾がフリーカメラマンと別れたことを察したようだった。圭人はここ何週間か、週末を家で過ごしていたから。
――かなりのイケメンだし、五歳しか離れていないし、なによりM商事の課長なのよ。この年で!
かなりプッシュされ、圭人はお見合いをすることに決めた。
これ以上家で鬱々としても、何も良いことがないと思った。
渡された見合い写真の男は、いかにもαっぽかった。前髪を後ろになでつけ、額を堂々と見せている。目は理知的な光を帯び、鼻は高い。唇は薄く、少し酷薄な印象を受けた。だが、美貌であることに間違いはない。
圭人と大堀は、ステム(脚)付きのグラスに入ったミネラルウォーターを口にしながら、自己紹介を行った。雑談も少々。
十五分が経ち、圭人の緊張が解れてきたところで、大堀が「運命の番と会ったことはある?」なんて聞いてきた。
「えっ」
圭人が思わず変な声を発すると、大堀はもう一度「運命の番だよ」と笑って言った。
「会ったことがあるか聞いたんだ」
「運命の番、ですか」
つい最近まで付き合っていた。自分の愚かな行いのせいで、別れてしまったけれど。
――いや、実紀が現れなくても、俺たちは結婚はできなかったかもしれない。
圭人はだいぶ冷静になっていた。
柾との別れは辛かったが、長いこと悩んでいたことから解放され、ホッとしている自分がいる。
圭人が何と答えようか逡巡していると、大堀が「じゃあ俺から言うよ」と薄く笑って言った。
「俺は会ったことがある」
「え、そうなんですか」
案外気楽に告げてくるので、圭人は反応に困った。
「一か月付き合って別れたよ」
「え、なぜですか」
唯一無二の運命の番と、一か月で別れるなんて。俄かには信じられなかった。
「性格の不一致だね。性的なこと以外は、全く合わなかった」
性的なこと――セックスの相性。合って当然だ。運命の番なのだから。
「どういうところが駄目だったんですか」
「話が合わなかった。知的レベルがあまりにも違った」
「――俺もそんなに良い大学は出てません」
一応言っておく。大堀は、東大に次ぐ私立大の経営学部卒だ。
「学歴は問題じゃない。話が合わなさすぎたんだ。新聞の社会欄もろくに読んでいない奴だった」
それを聞いて圭人は密かに胸をなでおろした。一応毎日、購読している。
「価値観も違ったな――付き合う分には問題ないが、結婚するとなると難しい」
「そうですね」
圭人は同意した。自分も同じ問題に直面して、悩んでいた。
金や身の回りのものに頓着しない柾と、気にしすぎる自分。
目の前の男は、仕立ての良いスーツを着ている。ブランドかどうかは分からないが、生地が見るからに高そうだし、体にフィットしている。フルオーダーかもしれない。黒い革靴も磨いたばかりのように光り輝いている。
「それで、君は会ったことがあるの?」
「あります。二年、付き合っていました」
圭人は素直に打ち明けた。彼が先に教えてくれたので、話を濁すわけにもいかない。
「そうか。なら安心だな」
満足気に大堀が微笑した。
「何で安心なんですか」
「結婚前提に付き合っているときに、万一君が『運命の番に会った、だから別れてくれ』なんて言ってきたら困るだろう?」
確かに。それは一番困るパターンだ。出会い済みなら心配はない。
つい、うんうんと頷いてしまう。
――この人のいう事って、合理的というか。ストンと入ってくる。
「あの、一つ聞いても良いですか」
「何?」
彼が微笑みながら聞いてくる。圭人は安心した。
「運命の番と別れるとき、躊躇はしなかったんですか。後悔は? 性格が合わなくても、やっぱり唯一無二の存在だし」
「躊躇も後悔もない」
即答。潔い。
「体の相性が良いだけだったんだ。そういうのが重要なのはせいぜい四十代までだろう? 体が衰えていけば、そんなことより、一緒にいて居心地が良いか、話がある程度合うか、子供がいれば教育方針が合うか――そっちの方が大事だ」
また圭人はうんうん、と何回も強く頷いた。
まったく同じ考えで嬉しくなる。
「君は結婚相手に何を求めてる?」
彼は柔和な笑みを欠かさない。だから圭人も正直に話すことにした。
「経済的に安定していて、一緒に子育てをしてくれるような人」
「いま君は働いているよね? 働き続けたい?」
「子供ができたら、仕事は辞めたいです」
圭人の本音だ。自分はバリバリ仕事をするタイプではない。子供が小さいうちは、子育てと家事に専念したい。
「良いんじゃないかな。俺は会社に行って稼いでくるよ」
大堀がニっと笑った。愛嬌のある笑顔だ。彼も警戒を解いてくれている気がする。圭人は嬉しくなった。
初対面の男に、けっこう自分はぶっちゃけている。柾とも、こんな話はしたことがなかったのに。
――柾。
急に柾のことを思い出した。
彼の笑顔を見ると、すごく嬉しかったし、セックスのときは身も心も彼と一体になれて、幸せだと感じた。
――でも、大事な話はできなかった。
彼もしてこなかった。ただ一緒にいただけ。それで良いと思っていたけど、駄目だったのかもしれない。
別れたときは辛かったけど、今はこうして開き直ったみたいにお見合いをしている。
「――本当に好きじゃなかったのかな」
心のつぶやきは、声に出てしまっていた。
大堀が小首を傾げたあと、ふっと笑った。
「そんなことはないだろう? きみは好きな人としか付き合えないタイプだと思うよ」
「そうですか?」
「ああ。その彼と付き合っている間、見合いはしなかったんだろう? 他の出会いを探すことも」
「してません。そんなこと」
「だったら本気で、彼のことを好きだったんだと思うよ」
優しい声。心にポトリと、温かい雫が落ちた気がした。
目に、涙の膜が張った。圭人は慌てて、目元に手を当てる。でも、流れてくるものを止められない。
「泣きたいなら泣いたら良いよ。周りに人はいないし」
優しい、温かい声だ。
「この後時間はある?」
圭人は俯きながら、一度頷いた。
「じゃあ、泣き終わってスッキリしたら、このホテルの別館に行かないか? 水族館がある。デートしよう」
会ってから二時間弱で、突然のデートの誘い。
「いいかな」
そんなに優しい声を出さないで欲しい。涙が止まらなくなる。
大堀は黙って待っていてくれた。圭人が泣き止むまで。
涙も枯れ、グラスの水を飲んでから、圭人は顔を上げた。
「行きましょう、水族館」
できるだけ明るい声を出して、大堀に笑顔を向けた。了
※結婚相手とのお見合い編でした。
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