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10 (実紀視点)
「え? 俺がここ入って良いの?」
実紀は笑いながら、トリガーのヴォーカル、ヨースケに呼ばれるまま、ステージ横の楽屋に入った。彼は実紀がメインフロアに入ってすぐに、楽屋のドアから顔を覗かせて、おいでおいでと手を振ってきたのだ。周りにいるファンがざわつくことも気にせずに。
「いいのいいの。ミリさんって、いつもライブの途中で帰っちゃうじゃん。今日は最後まで聴いてってよ。ここに座ってさ」
ヨースケがグリーンの色褪せたソファを指さした。
「そうそう。ライブが終わったら、新曲の話もしたいし」
そういったのはギターのウメだ。
「でも、次のバンドとか」
「入ってないから大丈夫。俺たちで最後だから」
押し切るようにヨースケに言われ、実紀は肩を竦めた。
「まあ、それならいいけど」
ドラムのテツはスティック回しをして精神統一、ベースのタケはチューニングに勤しんでいる。
実はこの楽屋に入ったのは二度目だ。一度目は、トリガーのライブに初めて来た三月。アンコールが終わって、メインフロアから人が引いたときに、楽屋に押し掛けた。
自分の曲をトリガーに提供したいと、売り込んだのだ。ヨースケの声にピッタリの曲を作る自信があった。閃きまくって、あの時はハイテンションになっていた。
自分のブログとメールアドレスを載せた名刺を強引に押し付けて。あと、自分が音大の作曲科卒で、ブログにはサンプルを沢山UPしているから聴いてください、とも言い添えた。
そんなこんなで、スムーズに事が進んで現在に至る。
俺って営業力があるかも、なんて自画自賛してしまう。
とりあえず、勧められたソファに座って、ヨースケからプラスティックのカップに入ったアイスティーを受け取った。
「ここで待ってるけどさ、アンコールは一回で終わりにしてよ。十時には家に帰りたいから」
「わかった」
メンバー四人が同時に言った。
実紀はぷっと笑った。
ヨースケはαで、テツとウメはβ、タケはΩだ。性別は違っていても、統率は取れているようで、何よりだ。
開場して三十分が経った。観客席からは歓声が上がり、メンバー四人がステージに向かう。最後にヨースケが楽屋のドアから出て行こうとして、不意に実紀を振り返った。
「ミリさん、もし体調が悪くなったら無理しないで、機材置き場の方から出て、カウンターで助けを求めてください」
真顔で言われ、実紀は苦笑した。
やはり第一印象は大事なようだ。相当あの頃の自分は病人ぽく見えていたのだろう。
「大丈夫だよ。それよりライブのことだけ考えて」
ヨースケは頷き、楽屋を出て行った。
それから二時間後、アンコールを一回で終わらせて、四人が楽屋に戻り、楽器を片付け始めた。
二回目のアンコールを求める声が観客席からは聞こえてきたが、ライブ終了のアナウンスが流れたあとは静かになった。
「すみません、インタビューの約束をさせて頂いている、『HOT MUSIC』の山田です」
機材搬入口のドアの方から声がした。
「あ、そうだ。インタビュー頼まれてたんだった」
ヨースケが思い出したように言う。
「どうぞ、入ってください」
これからインタビューが始まるということは、新曲の話なんてできる時間はないだろう。
「じゃあ俺は帰った方が良いね」
「いや、すぐに終わらせるから、ここに」
ヨースケと実紀が言い合いをしているうちに、インタビュアーがドアを開け、楽屋に入って来た。
グレーの洒落た眼鏡をかけた男と、一眼レフのカメラを首に掛けた男が会釈をして、こちらを一瞥してくる。
「あ」
実紀とカメラの男の声が重なった。
「――また会いましたね」
にっこり笑って、実紀も浅く会釈した。
なんとなく、ここかを辞去するのが惜しいきがした。多分、好奇心だ。納藤の仕事をしている所が見てみたい。αだけど気さくな男のビジネスモードの顔を。
「やっぱり俺も同席して良い?」
小声でヨースケに聞く。
黒いシャツにブルージーンズ。一昨日も、同じ格好だったな、なんてどうでも良いことを考えながら。
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