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44 最終話(実紀視点)
実紀は一人、ピアノ部屋で『トリガー』の新曲作りをしていた。
たった今思いついたサビのフレーズを、ピアノの鍵盤をたたきながら口ずさむ。ノートに書きこむ。
朝からずっとこんな感じで、体の節々が固まっている。伸びをして、肩を回す。と、音楽部屋のドアが開いた。
「実紀、そろそろ昼飯だぞ」
柾が顔を出して、実紀を呼んだ。
「うん、ありがとう」
実紀は立ち上がって、柾の元に駆けて行く。
あれから――実紀がアメリカに行き、一回目の治療を受けてから、三年の月日が経った。
アメリカでの治療は、今年の六月で終わり、それ以降は、日本の病院で定期健診を受けるのみとなっている。アメリカの担当医からは、「寛解と見て問題ないでしょう」と告げられた。本当にそうなら嬉しい。百パーセント安心はできないけれど、人並みに生きられるかもしれないという、希望は持っている。
二人同時に、ダイニングテーブルの席に着く。皿には湯気の立った黄色い麺と、キャベツ、にんじん、豚肉、鰹節がどっさり。
「おお! 塩焼きそばだ」
実紀は急いで箸を取る。
焼きそばは実紀の好物た。もともと『ペヤングソース焼きそば』が大好きだったのだが、柾と暮らすようになって、彼が焼きそばを作ってくれるようになってから、塩派になった。
「めっちゃおいしい」
モグモグ食べながら、実紀は柾とたわいない話をする。
実紀のマンションに柾が越してきたのは三年前。実紀がアメリカで一回目の治療を受けて日本に帰ってきてから、柾と暮らすようになった。
同居する直前まで、二人でアパートを借りようと柾が主張していた。実紀のマンションに居候のような形で住むのが嫌だったようだ。毎月十万、家賃を請求すると約束したら、なんとか納得してくれた。当初はギリギリ払えている感じだったが、今の柾は苦も無く払えている。『maana』で管理職に就いているし、休日はたまに個人客から撮影の依頼を受けている。
実紀はというと、メジャーデビューした『トリガー』に、変わらずに楽曲提供を行っている。まだ売れていないアーティストにも曲を書いている。柾と同じぐらい稼いでいる。
「実紀、荷造りできてないだろ」
焼きそばを半ば食べ終わった柾が、実紀の頭を小突いてくる。そのあと、さわさわと頭を撫でられる。嬉しくて目を細めた。
実紀の髪型は、マッシュルームカットだ。スキンヘッドは三年前に卒業した。免疫療法に切り替えたと同時に、抗がん剤を使用しなくなった。
免疫療法はけっこう簡単な処置だった。数か月に一回渡米して、遺伝子組み換えされた菌を、局所に注入しておしまい。定期的にMRI写真も撮った。
一時的に腫瘍が肥大して、危ない状況に陥ったときもあったが、これは体の免疫系が覚醒し、癌と闘っているせいだった。なんとか持ちこたえて現在に至る。今のところ後遺症はない。
「ご飯食べたらやるよ。でも荷物ってそんなにない」
「あるだろ。一週間行くんだぞ」
「じゃあ、手伝って」
「仕方ねえなあ」
柾が呆れたようにため息を吐いた。でも嫌そうじゃない。なんだかんだ言って、実紀を甘やかすのが好きみたいだ。
二人は明日、渡仏する。
去年開催された写真のコンクールで、柾がグランプリを受賞したのだ。副賞はパリで写真展を開ける権利だ。展示する作品は、すでに現地に送り済み。
柾はそのうち、企画出版で写真集を出したいと語っている。彼らしい夢。いつか必ず叶うと実紀は信じている。
焼きそばを食べ終えて、二人は並んで皿を洗った。
柾となら、何をしていても楽しいし嬉しい。
三年同棲していても飽きない。この、飽きっぽかった自分が。
柾も同じみたいで嬉しい。だって、ほら。
「みのり」
先に皿を洗い終えた柾が、実紀の後ろに回り込んだ。ぎゅっと抱きしめられ、実紀は声を出して笑った。
そのまま柾の手が、実紀の下腹を服越しになぞってくる。
「あ……」
柾は実紀の泣き所を、しっかり把握している。
実紀の首筋に、柾が軽くキスをしてくる。
項に恋人の噛み痕はない。
実紀にはまだフェロモンがない。ヒートも戻ってこない。これから先どうなるかは、分からない。
それでも良いと、柾は言ってくれる。
場所をベッドに移し、二人は衣服を脱がせ合った。
柾にさっさと組み敷かれ、実紀は彼の太い首に腕を回す。脚を広げ立てた。
通過儀礼のように、軽いキスを飽きるほど繰り返した。実紀が口を開くと、柾が舌を入れてくる。
既視感。
初めて柾と、暗室でキスをしたときだ。実紀から唇を押し付け、我慢できずに口を開いたら、彼の舌が入って来たのだ。嬉しくて嬉しくて、泣きそうになった。
くちゅくちゅ、と生々しい音を響かせて、何度もお互いの口を行き来させる。舐めていない場所がないぐらい、隅々まで互いの口内を探り合って、愛撫し合う。そうしていると、自分のものが、徐々に硬くなっていく。柾のそれも、挿入できるぐらい硬く反って、実紀の太腿に押し付けてくる。
「まさき」
自分でも恥ずかしくなるほど甘い声が出た。
変わったなあと思う。昔はセックスで恥らう事なんてなかった。柾以外の相手とは。
柾が顔を少しずつ下ろしていく。実紀の顎、首筋、鎖骨と軽く口づけたあと、胸の尖りを舐め、もう片方を指で摘まんで扱いてくる。
「あ、あっ」
実紀は我慢しないで声を出した。気持ちが良くて、ぎゅっとシーツを握る。
腹筋、臍、と、舌を這わされたあと、ようやく実紀の勃ち上がった性器を愛撫してくれる。先走りの液を舐めとって、先端を口に含んでくれる。すぐに唇を窄めて、吸い上げるように刺激され、射精感が込み上げてくる。
「あ、やばいって」
柾の頭を掴んで、一度止めさせようとしたが、びくともしない。
腰をしっかり固定されて、実紀はされるがままになった。
柾が実紀のものを深く咥え込み、頭をゆっくりと引いていく。性器がほどよく締め付けられ、あまりの気持ちよさに、腰がブルブル震えた。
先端をきつめに舐められて、我慢の限界に達する。
「あ、いく、あ!」
実紀が叫ぶのと同時に、柾が口を離した。間一髪で、恋人の口内に射精しないで済んだ。
一気に追い上げられた。実紀ははあはあ、と荒い呼吸を繰り返した。腹には自分の白濁がべたりとついて、太腿は汗でしっとりと濡れている。
――柾、上手くなったよな……
柾と初めてセックスしたのは、一年ぐらい前。それまでは、実紀の体を気遣って、ペッディングまでしか柾はしてくれなかった。実紀の腫瘍が順調に小さくなった頃合いに、体調が良いときのみ、激しい動きはしない条件で、挿入までするようになった。
付き合い始めの頃は実紀の方がフェラチオが巧かったのに、今では柾の方が上手だ。逆転している。
射精後の弛緩した膝を、ぐっと広げられる。柾の指で、後孔にローションを塗られ、襞を丁寧に解される。
三本の指を根元まで余裕をもって食べられるようになって、ようやく柾が、勃起した己ものにスキンを着けた。
恋人のものは凄く大きい。これで貫かれると、意識が飛ぶほど気持ちが良いのだ。
実紀は唾をごくんとのんだ。
「みのり」
興奮したような色っぽい男の声に、実紀の鼓動はいっそう速くなる。
嵩の部分が、蕾にピタリと触れる。
「あっ」
期待に声が震えた。
一息に、ずぶずぶと入ってくる。
「ひっあ――あ」
声が勝手に出る。ぐぐっと奥まで来ている。目の裏がチカチカした。
どこまで入っているんだろう。恥毛がある部分から、腹部へと手を這わせる。臍のあたりで手を止める。ここぐらいか。
「いやらしい動き」
そんなことを言う柾の方も、いやらしい笑みを漏らしている。
実紀が両腕を上げると、柾が覆いかぶさってくる。よけい深みに柾が入って来た。
「あ、あ」
またすぐにイきそうだ。
腰を抱え上げられ、ゆっくりと、徐々にスピードを上げて揺すられる。
「あ、んあ、あ」
柾が射精するまで、実紀は甘く喘ぎ続けた。
立て続けに二回してから、柾と実紀は並んで仰臥した。
「良かった」
一言呟いて、実紀は柾の頬にキスをする。
「俺もだよ」
柾も満足しているようだ。額に口づけながら、頭を撫でてくれる。
なんだか今日は、柾にしてもらってばっかりだった。次は自分も頑張ろう、と思う。実紀は口でするのも、上に乗って動くのも好きなのだ。
お互いなんとなく顔を近づけ、軽いキス、深いキスをランダムに繰り返す。
そういえば、自分たちは歯を磨いていなかったなと思った。とくに気になりはしないが。さっき食べた塩焼きそばは、隠し味にニンニクが使われいた。
――ニンニクかあ。
急に、柾と出会った日のことを思い出した。
圭人と柾が近い距離感で、テーブル席に座っていた。実紀はペペロンチーノを頼んで、彼らも同じものを頼んだ。あの日二人は、実紀と別れた後、キスをしたんだろう。
「実紀? 考え事?」
ぎゅっと抱きしめられ、柾も抱き返す。
「なんでもない」
別に嫉妬なんてしていない。過去のことだ。
それでも思ってしまう。あのとき、確かに柾は圭人を愛していたんだと。だけども実紀を好きになったのだ。そして圭人と別れた。
どんなに相手を愛していても、心が違う人に持って行かれることがあるという事だ。これは紛れもない事実。避けられない事象。
実紀は軽く首を振って、話題を考える。
最近、鳥飼と会った。とっくに顧問契約を解消しているが、作曲をする際の著作権に関して、彼にたまにだが相談をすることがあった。
「そういえば言ったっけ? 鳥飼さんのところ、二人目が生まれたんだよ。女の子だって」
一人目の子とは八歳離れているらしい。
「え、聞いていない。それは目出たいな。出産祝い渡さないと」
「それなんだけどさ、せっかくパリに行くんだし、あっちで店探して買うってどうかな?」
「いいよ。賛成」
二人は顔を合わせて笑い合い、またキスをする。
「パリに行ったら、色んな道を通って写真撮ろう?」
「ああ、そうだな」
実紀も趣味で写真を撮るようになった。デジタル一眼レフを一台持っている。そこまで専門的なものではないが。
共通の話題が増えて、話が弾むし、楽しい。
柾も出会った頃よりずっと、音楽に詳しくなった。実紀が音楽部屋でピアノを弾いていると、そっとドアを開けて入ってきて、床に座って、静かに聴いていてくれるのだ。
心は決して不動ではない。残酷なほど流動的だ。
でも、だからこそ、人生は楽しい。嬉しい。悲しい。心が動かなければ、死んだも同じだ。
柾の唇に指で触れながら、愛したい、と思った。
ずっと愛し合っていきたい。長い人生では難しいことなのかもしれないが。
それでも長く愛していきたいと思う。
「愛してるよ」
実紀の心を覗いたかのように、柾が囁いてくる。
「俺も。愛してる」
柾の腕の中で、実紀は目を閉じる。
荷造りが終わってないけどまあいいや、と思いながら。了
完結しました。
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後ほど、作品について呟きますので、お読みいただければと思います。
スター特典もあります。
ありがとうございました。
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