7 (圭人視点)

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7 (圭人視点)

 六月七日、日曜日の午後。  圭人は早めに恋人宅を後にして、実家に帰った。  駒込駅から徒歩十分ほどの、商店街裏に立っているアパートの一階だ。築三十年を超えていて、だいぶ年季が入っている。  玄関のドアを開け、控えめに「ただいま」と言った。  おかえり、と台所の方から声がした。いつもより抑揚があって、語尾が跳ね上がっている。怒り気味なのかもしれない。自分が外泊したから。  一つため息を吐いて、圭人は洗面所で手洗いうがいを済ませ、台所に向かった。  叔母は流しで食器を洗っていた。百五十センチ程度の彼女が背中を丸めていると、本当に小さく見える。そして、老いたとも。 「早かったわね。どうせ夜まで帰ってこないと思ってた」  振り返ってくる叔母の顔は、やはり怒り気味だった。何か言いたそうな、への字の唇も相変わらずだった。  叔母が布巾で手を拭きながら、ダイニングテーブルの席に着く。目で「お前も座れ」と促してくる。  圭人は大人しく椅子に座った。 「カメラマンの彼氏のところに行ってたんでしょ?」  不愉快そうに叔母が顔を歪め、口火を切った。 「そうだよ」 「いつまでこんなことやってるの。あなたもう、二十五でしょ。若いって言われるのもあとちょっとよ」 「分かってるって」  若さは、産む性のΩにとって、婚活市場で何より大事な要素だ。 「どんなに綺麗でもね、ダメなのよ。若くないと」  念を押すように言われ、圭人は頷いた。 「ちゃんと分かってるから。心配しないで」  強引に話を切って、圭人は椅子から腰を上げた。  これ以上話をしてもらちが明かない。圭人は柾と別れるつもりはないし、良い物件と見合いをする気もないのだ。  しかし、叔母の反対を振り切って、柾と結婚することもできない。  自室のドアを開けようとすると、、「圭人、夕飯は肉じゃがで良い?」と、さっきより緩い口調で叔母が聞いてくる。 「うん、ありがとう」  軽く振り返って、叔母に笑って見せる。  すぐにまたドアを開け、部屋の中に入った。  台所を遮断して、ゆっくりと息を吐いた。  叔母のことは嫌いじゃない。いや、好きとか嫌いとか、そういう感情は必要ないと思う。  圭人は叔母から、沢山のものを搾取してきたと自覚している。    両親が車両事故で死んだのは、圭人が中学一年の時だ。運転していた父の前方不注意で、電信柱に激突した。圭人も車に乗っていたが、後部座席に座っていたから脳震盪と打撲で済んだ。前に座っていた二人は即死だった。  だいぶその時の記憶は薄れているが、事故を起こす直前に、父と母が言い争いをしていたことは覚えている。  両親は、圭人が物心ついた頃から仲が悪かった。喧嘩をしている声で、夜中に目が覚めることはしょっちゅうだったし、三人で楽しく食事をしたことも数えるぐらいしかない。  不仲の原因は、お金の問題と、母の不貞だった。  圭人の父は、一つの会社でじっくり働くということができなかった。転職して落ち着いたと思ったらすぐにまた転職。そんなことでは収入はなかなか上がらない。そこで母も働きに出るようになったが、発情期以外でもΩの香りを嗅ぎつけ、言い寄ってくるαは後を絶たなかった。  母は最初こそ、αの男に見向きもしなかったが、父との仲がこじれたタイミングで、しつこく言い寄って来るαと間違いを起こしてしまう。それからは箍が外れたように、αとの浮気を繰り返すようになった。  βの父は、母の発情期にあまり付き合えなかったとか。結婚しているのに抑制剤を飲んでいた母は、ずっと欲求不満だったのかもしれない。  父と母どちらも親戚は多かったが、圭人を引き取る家庭はなかなか決まらなかった。一度は施設に預ける話も出ていたが、「それは可哀そう」と、叔母が引き取ってくれることになった。母の姉だ。母とは顔も体型も似ていなかった。性別はβで、αの夫と二人で暮らしていた。子供が出来なかったみたいで、圭人のことを本当の息子のように育ててくれた。  圭人はとくに、叔父に懐いていた。αなのに気取ったところがなく、お喋りで明るかった。よく「俺は出来損ないのαだから」と笑っていた。αの割に勉強はできなかったようで、高校を出たあとは調理師学校に入り、免許を取って食堂で働いていた。  裕福ではなかったけど、皆が仲良くて、居心地の良い家庭だった。  だが、圭人が十八のときに事件が起きた。高校三年の夏。  夕食後、叔母の入浴中に、圭人に初めてのヒートが訪れたのだ。  そのとき圭人は、台所のダイニングテーブルで、叔父と一緒にハッサクを食べていた。  ドクン、ドクン、と心臓が高鳴り、息苦しくなった。体が熱く、全身の皮膚がざわめいた。これはマズイ、と直感した。 「おじさん、俺、部屋に戻るね」  叔父がαだということを思い出し、慌てて自室のドアを開けた。そのとき、左の肘をぐっと鷲づかみされた。 「えっ」  驚いて振り返ると、息を荒げ、辛そうに眉を寄せた叔父に抱きつかれ、勃起した性器をズボン越しに押し付けられた。 「いやだ、やめ」  叔父の腕の中でもがいても、びくともしなかった。口を手で塞がれ、ベッドに押し倒された。服も下着も脱がされ、勝手に濡れた後孔に指を挿入される。強引な抜き差しなのに、全然痛くなかった。  もう駄目だ、と諦めかけたとき、叔母が風呂から出てきて、異変を察知してくれた。 「何してるの!」  圭人の部屋のドアを開け、正気を失った叔父と、朦朧としている圭人を凄い力で引き剥がしてくれたのだ。  そんな事件があった翌日、「圭人、話があるの」と、叔母が冷静な声で圭人を呼んだ。  圭人は覚悟していた。もうこの家にはいられないと。  だが、叔母が選んだのは圭人だった。 「あの人には出て行ってもらうことにしたから。圭人は安心してここに住んでね」  一週間も経たないうちに叔父は家から出て行き、叔母と離婚した。 「もともとあの人とはうまくいってなかったのよ」  その言葉が本当かどうかは分からない。圭人の罪悪感を軽くしようとして叔母が優しい嘘をついてくれたのかもしれない。  圭人は大学の受験をやめて、高校を出たら就職すると叔母に申し出た。彼女に大学の費用を出せる経済力がないと知っていたから。だが、叔母は大学進学を勧めてきた。学費も出すからと。 「大学ぐらいは行っておきなさい。それで、高学歴のαと結婚して、私に恩返ししてね」  その時は軽い口調で言っていたから、冗談だと思った。でも違った。  圭人が大学を卒業し就職をしてからは、お見合い話をいくつも持ってきた。どの相手も、高学歴のαで、一流企業の役職付き、中には社長の息子もいた。 「どうしてこんな凄い人、見つけてこれるの」  一度叔母に聞いたことがある。 「だって私、デパートの外商してるのよ? コネならいっぱいあるわよ」
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