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8 (実紀視点)
午後八時過ぎ。シャワーを浴びて部屋に戻ると、ライティングデスクの上でちょうどスマホが鳴っていた。バスタオルで頭を拭きながら、スマホを手に取る。圭人からだ。
「もしもし」
自然と声は柔らかくなった。
「実紀? いま大丈夫?」
「大丈夫。どうした?」
「いや、どうもしないけど……昨日は三人で会えて楽しかったから。来てくれてありがとう」
本当に嬉しそうな声で言われ、実紀はちょっと笑った。
「俺も楽しかったよ。呼んでくれてありがとう」
本当に楽しかったと思う。納藤は気さくで、実紀の質問にも嫌な顔一つせずに答えてくれた。話題も豊富で、彼の話を聞いていると、ついつい自分も話したくなって、時間が過ぎるのがあっという間だった。
二十時でお開きにするつもりだったのに、会話が止まらず四十分延長してしまった。
「また三人で会いたいな」
圭人が弾んだ声で言う。
「そうだね」
同意したものの、それはどうなんだろう、と首を傾げたくなる。
「でもさ、俺、邪魔にならない? 圭人たち、付き合ってるんだろ?」
「えっ?」
驚いたような声を立てられ、こっちが驚く。
「えっ? てさ……」
実紀は苦笑した。昨日、二時間四十分、彼らと一緒に過ごしたが、圭人が納藤に話しかける声や、納藤が圭人に向ける視線には甘さがふんだんに含まれていた。それに、圭人と出会い、仲良くなったいきさつを話したあと、納藤は実紀に礼を言ってきた。
「圭人を助けてくれてありがとう」
真剣な顔で、頭まで下げて。
友達でアレはない。
「――柾とは友達だよ」
圭人のぎこちない声に、バレてるって、と突っ込みを入れたくなったがやめておく。理由は分からないが、恋人だということを隠したいのだろう。
「まあ、友達って言うならそれでもいいけど」
正直どうでも良い。彼らが恋人だろうが、友達だろうが。
三人で会おうと圭人が言うなら、自分は遠慮せずに誘いに乗る。
「じゃあそろそろ切るよ。やりたい事があるから」
まだ仕事が途中だった。日にちが変わる前に一曲完成させ、依頼主に連絡してから就寝したい。
圭人の「じゃあまた」の声を聞き終えてから、通話を切る。
「さあやるかあ」
伸びをして、まだ水滴の残る体をタオルで拭く。最後にざらざらの頭も丁寧に拭く。
クローゼットから適当にTシャツと短パンを見繕って身に着ける。
ふと、広い部屋を見渡した。誰もいない。
前はいた。実家に住んでいたときは父が、社会人になって一人暮らしをしていたときは、恋人が。入浴後、脱衣室で体を拭かずに部屋に戻る実紀を、叱ったり窘めたりしてくれた。
「落ち込んでも仕方ねえし」
また独り言が出る。無駄に部屋が広いから、小さい声でも響いてしまう。贅沢な不満だが。
ラップトップを二台、ライティングデスクに載せ、一台は楽譜ソフト、もう一台はDTMのソフトを立ち上げる。
使い慣れたソフトだ。
今回は、『トリガー』に依頼されてオリジナルを一曲作る。前にも一度、楽曲を提供したことがあるバンドだ。つまりリピーターができたってことだ。素直に嬉しい。
実紀は雑念を捨てるために暫し椅子に座って瞑想したあと、作業に取り掛かった。
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