15 神様の事情

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15 神様の事情

***  オオクニヌシさんが透明のきゅうすに湯を注ぐ。茶葉が踊る。いりみだれる。 「たがい国を奪い、護り、戦い合う。人の時代も戦ばかりですね。大義は、だいたいは戦を始める本人の事情だけ。人も、国ツ神も、天ツ神も変わりませんね」  私の好きな宇治茶。淹れかたもばっちり。静岡、鹿児島、京都と有名な茶処はあるけれど、やはり宇治茶。ザ・緑茶ってかんじ。オオクニヌシさんは私の好みを知りつくす。 「やっぱ宇治茶だよね」私は、にっこりとほほえむ。  オオクニヌシさんは、私を見ながら、眼鏡のブリッジを押さえ、クイと上げる。 「伊勢茶です。ツクヨミさま、茶処は静岡、鹿児島、三重。宇治茶は三重の茶葉、伊勢茶を使います。ずっと伊勢茶を飲んでたはずですが」  私は立ちあがり、チェストの上の、新大阪駅のホームで拾った玩具のボタンを押す。 「へえ」1へえ。 「ツクヨミさま、キイの国のときもずっと伊勢茶を飲んでたはずですが」 「へえ」追加で1へえ。言わなければよかった。 「伊勢茶は地域により味わい、香りが異なります。ワタクシは越賀茶が好きです」  眼鏡のフレームを触り、にっこりとほほえむ。 「ただ、高価なので、ツクヨミさまにいただいたノート型パーソナルコンピュータで調べ、インターネットショッピングで買いました」 「オオクニヌシさん。そんなことのためにあげたんじゃない。茶を買うために教えたんじゃない。もっと色々と調べて。越賀茶よりも古の戦、現代、世界の変化、天ツ神を調べて」ビシっと言いはなつ。 「ツクヨミさまは調べないのですか」 「わ、私は……」 「ネ、ネットニュースだけを、調べる。SNSだけを、見る。せ、せっかく、世界を見わたす力がありながら、見ない」 「クエビコさん、モラハラ。早く訂正と謝罪を」クエビコさんの頭をガシっと押さえる。 「カ、カカシに感情はない。ゆえにオレに差別感情はない。しょせん、オレは、オ、オオクニに作られたカカシ。タダの喋るカカシの戯言、だ」コソッと言う。  開きなおり、しかえし、か。 「おとなげない話はやめましょう。ワカヒコくんに悪い影響を与える」 「オトナって、くだらないね。ウン、とっても……」  ワカヒコくんは頭を上げ、欠(アクビ)をつく。  置かれた湯のみを見る。ワカヒコくんの目が、キラキラと輝く。 「コーヒー。コーヒーの儀をしなきゃ。オオクニさま、いいでしょう」 「いいですよ」ワカヒコくんに促される。火が怖いらしい。  オオクニヌシさんの神聖な台所で、ワカヒコくんの神聖なコーヒーの儀が始まる。私が湯を沸かすだけ。  初めて湯を沸かしたとき、ワカヒコくんは驚いた。 『スゴい、スゴい。ツーちゃんが火をつけた。神威だ、神威』 『私の神威でなく、ガスコンロが火をつけたんだよ』 『フーン。火の神でなくても火はつくんだ。カガヒコはいらないね』 『ワカヒコくん。私達は、ファジーな、ファンタジーな設定だから』 『フーン。オトナのジジョウなんだ。ボクはコドモだから、オトナのジジョウはわからない。ボクがわかるのはツーちゃんは、ステキということ』 『ワ、ワカヒコくん』 『あれ、ツーちゃんの顔が赤くなってる。どうしたの』 『オトナをからかわない』  時々、ワカヒコくんがオトナなのかコドモなのか、わからなくなる。なにを思ってるのか、なにを考えてるのか、わからなくなる。  オオクニヌシさんが言ってた。ワカヒコくんは本心を話さない、と。 『ワカヒコの父神は高位神だそうです。しかし疎まれ、低位神となり、ワカヒコも辛かったと思います』  神話で、ワカヒコくんの父さんは天ツ国魂神という神名だけが書かれてる。ツクヨミも、月神も星神も、ワカヒコくんの父さんも神話で出ない。書かれない。だれの事情か。  計量スプーンでインスタントコーヒーを量る。かわいくて髪を撫でる。 「ツーちゃん、触らないで。量ってるんだから触らないで」  ワカヒコくんはインスタントコーヒーを長く飲みつづけたい。神話の代表格神様は慎ましい。スサノヲさんも呑むときは(1升の酒瓶で)3本までと決めてる。 「ごめん」 *  ワカヒコくんは、インスタントコーヒーを飲みながらテレビを見てる。インスタントコーヒーを気にいったらしい。オトナ顔で飲んでる。私は苦くて飲めない。  アルバイトで働く喫茶店は、じつはコーヒーの専門店。面接で、店長に『ウチになんで来たの』と訊かれた。『匂いに誘われて来ました』と答えた。  いつも父さんはコーヒーをおいしそうに飲んでた。私は匂いが好きだった。 『小さいころに飲んだら、苦くてね。オトナの飲みものと思ってた』  ワカヒコくんにせがまれて買ってあげた。 『ワカヒコくんは苦くないの』 『ボクは苦くないよ。オイシイよ、ウン、とってもオイシイ』  ワカヒコくんはテレビに映った外国のアイドルに手を振る。中国語っぽい。アイドルが手を振ると、振り返してくれたと喜ぶ。オトナなのか、コドモなのか。 *  スサノヲさんは窓外の月を見てる。なにを思ってるんだろう。  チンパンジーも月を見あげる。なにも思わない。  人も月を見あげる。事件事故のあと、見あげると偶然に満月。月のせいかと思う。 「つ、月は、なにもしない」ローテーブルの上の置いたクエビコさんが言う。  じぶんと月は結ばれてると考える。 「お、思うことと、考えることは、ち、違う」  偶然の記憶が重なり集まり知識となる。 「ひ、人の弱い脳髄が作った、ま、まちがった知識、だ」  人は、神様は人のために田んぼを護り、神様は人のために神社に住み、神様は人のための神言(カムゴト/神託)を伝えると思う。考える。 「か、神は、なにもしない。田を護ったり、社(ヤシロ)に住んだり、しない。神は、なにも言わない。ひ、人が思うだけ。己と結ばれてると考える。まあ、思うも、考えるも、ひ、人の事情と感情だ」 「クエビコさん、ほんと神様なの」 「オ、オレは、なにもしない。いや、なにもできない。な、なにかしてほしいのは、オレのほうだ。ずっと田に立たされるオレの感情も、か、考えろ」  だからクエビコさんは考える。なんで田んぼに立たされるのか。 「ひ、人は、己の感情だけ。アイドルの私生活を、し、知りたがるくせに、アイドルと、ほかの女子(オナゴ)の写ってる写真は、即削除。な、なかったことにする。アイドルの事情も、思え」  クエビコさんは実家の近所の田んぼに立ってた。  夜は、オオクニヌシさんが図書館で借りた本を懐中電灯のなかで読んでもらい、昼は、高木の木陰の下で地蔵に凭れながら話す女子の会話を聞いてた。  地蔵菩薩は、弥勒菩薩の現れるまで、57600万年間(一説に567000万年間)の世界を見まもる佛様。クエビコさんは崩れるまで田んぼを見る神様。神名は崩えビコ。 「クエビコさんの本地佛は地蔵菩薩かもね」 「ツ、ツクヨミ。まったく、わ、笑えない」 * 「オオクニヌシさん。伊勢茶も宇治茶も、つまり同じ茶で、名が違うだけじゃないの」 「ツクヨミさま、名は大事です。名があって、初めてモノの存在が認められるんです。あと、三重で茶を作ってる人に失礼です」 「なるほど」 「はい、ツクヨミさま」オオクニヌシさんがデザートの苺を置く。 「ありがと」
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