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「それで?決まった?」
その声にハッとして、僕は目を開ける。
「……いや、まだ」
弱弱しい声で僕はキミに答えた。
「そんなに、難しい顔ばっかりされてると、こっちまで暗くなっちゃうんですけど」
「……ごめん」
「別に謝らなくていいんだけどさ」
そう言ってフフッと笑う声は、少女のように可憐でもあり、その一方でどこか色気も含んでいて、僕は内心ドキッとしてしまう。
「でも、そんなに大変とは思わなかったわ。それとも、人それぞれ得意不得意があるってことかしら。そんなに素晴らしい『緑の指』を持ってるあなたでも、花言葉を考えるのに苦しむなんて」
「まあ、植物を育てることと言葉を考えることは別だからね」
「でも、ただの言葉じゃなくて花言葉よ。やっぱり得意分野だと思うんだけど」
子供の頃から、自分には特別な力があることには気付いていた。僕が育てた植物はひと際輝きを放って成長していくのだ。グングンと元気に育つだけではなく、その美しさまで群を抜く。いくら誰かが同じタイミングで、同じように育てても、その違いは一目瞭然だった。
――『緑の指』っていうのよ。
そう、教えてくれたのは祖母だった。
――昔から植物を上手に育てることができる人には、緑の指があるって言われてるの。
それを聞いて僕は思った。
緑の指か。じゃあ、これも?
同じように考えるなら、これは
『緑の耳』とでも言うのだろうか――?
「そんなに、わかりにくいのかしら。私って」
「えっと、そういうわけじゃないんだけど」
「早く知りたいなぁ、私の花言葉」
今度は無邪気に、あどけなさを漂わせた声でその花は呟く。
子供の頃から、僕は植物を育てるのが上手なだけではなく、植物の声を聴くことが出来た。草花や樹木など、彼ら、彼女らは僕に多くを語りかけてくれたし、僕の言葉も聞いてくれた。大人になってもその能力は消えることはなく、僕は自然と植物に関係する仕事を選び、植物園に就職していた。
植物園の職員として、数多くの植物達の世話をしているだけでなく、ここでは新種の開発も行っている。そして、先日、僕は偶然この誰も見たことのない花を咲かせてしまった。
つまり、彼女の――『キミ』の生みの親はこの僕ということになる。
「名前はあんなにすぐ決めてくれたのに。『キミ』ってすぐ呼んでくれてたわ」
「あれはその、とりあえずというか」
「なにそれ、適当だったの?なんだ、私気に入ってたのに」
拗ねたように言う彼女に、僕は慌てて弁解をする。
「あ、いや、適当ということではないんだよ」
「じゃあ、あれはどういう意味があるの?私の名前には」
すぐに明るく、興味津々に聞いてくる。つくづく、彼女は感情豊かな花だと思ってしまう。
そして、彼女の感情が動く度に、その見た目も変化しているように感じてしまうから不思議だ。色も、花弁の形でさえも。
この錯覚は他の人間にも起きていたようだが、もちろん彼らにはそれが何がきっかけで起こるのかわかっていなかった。対して、彼女と言葉を交わすことが出来る僕には、それが顕著に表れていた。
改めてそのことについて考えながらも、僕は彼女の質問に答える。
「最初は『あなた』って意味で『君』って言ってたんだけど、名前だと勘違いされてたみたいで。でも、ああ、それもいいなって思ったんだ。あれは……『キミ』は僕の大切だった人の名前でもあるから」
「……ふうん、そうなんだ」
そう言って何故かぶすっと黙り込んでしまった彼女に、僕は何かマズイことを言っただろうかと不安になりながら問いかける。
「え、なんか怒ってる……?」
「別に。……私、やっぱり違う名前がいいわ」
「え?なんで?だって、さっき気に入ってるって、」
「今は嫌なの。とりあえずだったんだから、別にいいでしょ?」
「いや、それは、でも……」
花言葉だけでも決めるのにこんなに苦労しているのに、名前まで考え直さないといけないなんて。果たして間に合うだろうか。朝まではもうそんなに時間がない――。
僕がそんなことを考えながら、また苦悩の表情を浮かべていると、彼女が小さく呟いた。
「……私の名前を呼ぶ度に、その人のこと思い出すんでしょ?」
「え?」
「今でも、あなたにとって大切なの?その人は」
「ああ……うん、そうだね」
「……そう」
「おばあちゃんなんだ」
「え?」
「僕がまだ子供の頃に亡くなってるんだけど。緑の指のことも教えてくれた人で。本当に大好きだった」
「あ……そうだったの……」
「でもたしかに嫌だよね。おばあさんの名前なんて。ごめん、違う名前考えるよ」
「ううん、いいわ」
「え?」
「このままでいい。わがまま言ってごめんなさい。私、やっぱりこの名前好きよ」
「そう……?それならよかった」
僕はなんだかわからず、それでもひとまずは安堵する。彼女の機嫌も直ったようだ。声も表情もまた柔らかくなっている。
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