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僕は再び彼女の花言葉を考え始める。もうそれだけを考えればよいのに、なかなか決められないものだ。
見たくもないのに、僕はついまた部屋の隅に目をやってしまい、そしてすぐに逸らす。早く決めなくては。時間もない。
「他の皆の話も聞いてみるっていうのは、どうかしら?参考程度に」
「他の皆?もう誰も残っていないよ」
こんな夜中に職場にいるのは僕だけだ。それに、今は誰かにいられては困る。彼女もそれはわかっているはずだが。
「そうじゃなくて。この部屋を出れば、私の仲間たちがたくさんいるのでしょう?せっかくあなたにはその素晴らしい耳があるのだし」
植物園の事務所であるこの部屋を出れば、確かにたくさんの植物たちがいる。でも僕には――
「それは……できないよ」
「どうして?」
「もう聞こえないんだ」
「え?聞こえないって……だって、今もこうして」
僕は静かに笑みを浮かべ、首を振った。
「今の僕には他の植物の声が聞こえない。もうキミだけなんだ、聞こえるのは」
彼女と出会って初めのうちはそんなことはなかった。たしかに、新種である彼女を生み出したことに対する興奮はあった。それでも、今の自分ほど心の中が彼女でいっぱいにはなっていなかったと思う。僕は彼女と言葉を交わす日々を重ね、そして徐々に彼女の魅力に惹かれていった。いつの間にやら、僕は彼女にばかり耳を傾けすぎていたのだろう。この耳は彼女の声を聞くためだけのものとなり、気付いた時には僕はもう他の植物達の声が聞こえなくなっていた。それが彼女と出会ったことの代償だとしても、不思議なほどに後悔は全くなかった。
「そんな……知らなかったわ。あなたが、その、そんなことになってたなんて」
「うん、でもいいんだ。僕にはキミの声が聞こえればそれでいい」
「そう……でも、ほら、あなたにはまだ緑の指があるわ」
「それもきっともう駄目だよ。だって」
僕は先程の出来事を思い出す。部屋の隅に転がる、おぞましい記憶。自分の震える手から目が離せなくなる。
「僕の手はすっかり汚れてしまった……この指はもう緑じゃなくて――」
「やめて」
彼女は力強くも優しい声で僕の言葉を遮った。
「あなたは何も変わってなんかいない。出会った頃と変わらず優しい人だわ
。その指だって今も綺麗な緑色よ」
「キミ……」
植物は皆優しい。
それでも、彼女の言葉は特別僕の心にあたたかく広がっていく。彼女という花の魅力は、その外見はさる事ながら、こういう目には見えない美しさがもたらしているのだろう。だからこそ、彼女と同じ花が咲いたとしても、それは決して彼女と同じ美しさにはなりえない。
僕にはそれが誰よりもわかっていた。だから拒んだ。彼女と同じ種類の花を増やすことを。
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