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ニーチェという巨人
1章 原典との出会い
「著書」は「ツァラトゥストラ その謎」を指します。
ニーチェの代表作「ツァラトゥストラかく語りき」を「原典」と現すことにします。
経営していた塾を潰してしまい、職を転々とし、ようやく、安定したシフト勤務の仕事にありつけた。
夜勤はそんなに忙しくないので、県立図書館から本を借りて、一ヶ月で五冊ほどのペースで、乱読した。
大学浪人のとき、ある日、発狂寸前の精神状態に陥った。
その危機から救ってくれたのが「ツァラトゥストラかく語りき」竹山道雄氏、翻訳の単行本である。
わらをも掴む思いで、一方的な解釈だった。
客観的に捉えようとして、色々な学者が書いた解説本や、ニーチェの他の全集に手を付けたが、ほとんど意味が分からない。
哲学自体が難しい分野である。
原典は暗示的で不可解である。思想自体も掴みどころがない。
他の学者の原典の翻訳も、私の感覚に合わないものだった。
2章 著書との出会い
そんなとき、村井則夫氏の「ツァラトゥストラ その謎」に出会った。
一回目は、小説なども併読していたので、軽く読み流した。
参考文献に載っていた吉沢伝三郎氏の翻訳の一巻を、さっそく、購入して読んだ。
始めの三十ページ辺りで止めた。ピンと来ないのである。
「著書」を購入して、じっくり読むことにした。
「公募ガイド」に小説を投稿しようと決心した。
小説を書くことをこれからのライフ・ワークにしようと考えたのである。
小説の書き方を本屋で二冊買い、図書館から八冊借りて準備を始めた。
テーマを「死と不死」に決めた。職場の同僚に尋ねた。
「今、あなたが、ガンに罹って、三ヶ月しか生きられないとします。
バンパイアになって、永遠の命を得られるとしたら、どちらを選びますか」
全員が人間として、死を選ぶと答えた。意外だった。
題名を「新・バンパイア伝説」として、試行錯誤しながら書き始めた。
「著書」を読みながら、インスピレーションを受け、創造力の糧とした。
ニーチェ思想の「力への意志」をザラスに語らせる。
書くのは、夜勤のときで、休みの日は「著書」と他の小説を読んだ。
消印有効の日、ぎりぎり間に合って、出版社に送った。
3章 ニーチェ思想の追及
高校入学後、まもない頃、ジャック・ロンドンの自伝「馬に乗った水夫」を読んだ。
彼のような生き方をしたいと思った。図書館から借りて再読した。
ジャック・ロンドンも、ニーチェの影響を受けていると初めて知る。
「野生の呼び声」が有名。「海の狼」は、七回、映画化された。
書店で、翻訳書と英語の原書を購入し、照らし合わせて、読解していた。
時間が掛かりすぎるので、四分の一位で中止。原書の方が、文体の上手さが分かる。
ニーチェ思想は、他の思想(その他、様々な哲学や主義など)を支える(根拠となる)ものではない。
そういう役割をされると、たちまち速度を失って、限定され、歪曲されてしまう。
ナチスに悪用されたこともある。
一方、世界中の様々な作家、詩人、哲学者、思想家に影響を与えている。
何かの賞に入選することを目標にして前向きに歩んでいきたいと思う。
ニーチェ思想の追求は、それを通して、自分なりに覚醒するためです。
その暁には、小説の形で、覚醒の内容を著すことが夢です。
ニーチェ思想のコピーではなく、私自身の私なりの思想です。
いかなる苦難にあっても、ベクトルを上昇方向に向ける。
これが「ニーチェ教徒」の心構えであると思う。
「著書」で、ニーチェは、書くことに依って生きる人であったと述べている。
原典は、「生きられる本」であるとも。
「これが生というものであったか。ならば、もう一度」という力強い肯定の意志。
浪人時代に、生命力が風前の灯の状態から蘇生した感覚が、電流の如く脳髄を走った。
アドレナリンが、じわじわと体内中の細胞に浸透し始めている。
人生の流れは、どうしようもない運に左右される場合が、往々にしてある。
「著書」のおかげで、私の運命は、満ち潮に転じた感がある。
その強い想念が、運命をそのように手繰り寄せるのです。
生存とは、客観的で中立的な真理を実現することでなく、自らの生にとって有利なもの、
価値あるものを選択し、自身の生きる世界に意味と秩序を与えていく利己的な活動である。
自分の立つ観点から見通され、解釈によって囲い込まれた「地平」の内部でこそ、生はそれ自身の意味を確保し、充実を実現していく。
「生命あるものはどんなものであれ、一つの地平の内部でのみ健康で強く生産的でありうるということ。
これは一つの普遍的な法則である」(『反時代的考察』二・一)
この部分は、ニーチェ思想の両輪の一つである「力への意志」を表現している。
ニーチェという山脈への登山が始まる。果たして、頂上へ辿り着けるか。
頂上が目的ではない。その過程を通して、己の未熟さ、弱さを克服し、雨雲を切り裂く稲妻に変容、再生することが。
幼子のように笑う獅子になることが。永遠の世界に解き放たれることが。
「幸福の島」での境涯に達することが目的なのだ。
4章 プロの作家たち
三百冊以上は、図書館から借りて読んだと思う。
その中で、感動を受けたのは、たったの三つである。
一つは、北方謙三氏の「陽伶伝」(十七巻)。腐敗した宋を命を掛けて、倒そうとする
漢(おとこ)たちの物語である。
テーマは「志」。坂本龍馬の生き様と同じ。
二つ目は、山崎豊子の「大地の子」。
中国に取り残された戦争孤児の兄と妹。妹は人さらいにあって奴隷として売られる。
兄は教師の夫婦に育てられる。三十年後、ようやく、探し当てた妹は、危篤状態。
兄の腕の中で、たどたどしい日本語で「にいちゃん、あ・り・が・と・・」と言いながら死んでしまう。
頬を熱いものが流れた。こういう経験は、浪人時代、ドフトエスキーの「貧しき人々」を読んだとき以来である。
こういう小説を書ければいいなと思う。
読者を泣かさなあかん。人はカタルシスで、自らを癒すのです。
三つ目は、車谷長吉の全集第1巻。
播州弁独特のリズムを駆使して人間の闇を抉り出す。
その中に収められている「塩壷のさじ」が芥川賞受賞。
「新・バンパイア伝説」は、ニーチェ思想を多少でも知っていると、理解し安い。
ニーチェ思想のもう一つの核心「永劫回帰」のモデルを表現しようとして、
締め切り二週間前に、紳士とブラウンの対話を挿入したため、
テーマが複数になり、ラストが予定と変わってしまった。
プロの作家として、やっていけるには、ほぼ十年掛かるという。
一作目で、当たる人もいるが、まれである。後が続かない場合が多い。
世界中で売れている村上春樹氏も、十年以上、翻訳をやっている。
しかも中学以来からの読書量も半端ではない。
ジャズ喫茶を経営しながら、こつこつと小説を書き始めた。
音楽にも精通し、それが創作に役立っていると述べている。
「ノルウェイの森」は、ビートルズのナンバーである。
最初、図書館から、かたっぱしから借りて、読んだ中に、彼の小説もあった。
「ノルウェイの森」と「羊をめぐる冒険」を読んだ。
作者は、気持ちの優しい人だなという印象しかなかった。
比喩の使い方が、独特で巧みである。
売れ始めた頃、評論家に叩かれて、海外に住まいを移している。
「主張したいこと」は、歌、詩、俳句、短歌、エッセイ、論文、映画、建築、演劇、絵画、
彫刻、踊り、デザイン、演奏、演説、芝居、浪曲、陶芸、生け花、茶道、弁論、書道、
武術、落語、漫才など、様々な形で表現される。
枠を広げると、人間の全ての活動が、動機は何であれ、ある種の表現である。
営業、独裁者、完全犯罪、慈善活動、詐欺、ヤミ金の取立て、ハッカー、お化粧、
原理主義、ファッション、恥らい、はったり、○HKの集金人、ニュー・ハーフ、沈黙、
狂言、引き篭もり、霊媒師、視線、カルト、
「生類憐みの令」、マゾ的いじめられっ子、ひも、ピンポ~ン・ダッシュおばさん、
当選後、鼻をかんだティッシュを捨てるような政治家の公約撤回、世界中で起きている紛争、
右足用の靴のみ販売している靴屋、飲酒運転常習犯のパトカーの警察官、
満月に向かって吠える謎の美少女、退廃のバラエティー番組、
初産に立ち会って、血の気を失った旦那さんを逆に励ます妊婦など。
5章 自由な精神世界
再び、ニーチェについて。
ニーチェは、十九世紀の哲学者で、ドイツの牧師の子として生まれた。
非凡な才能の持ち主で、「文献学」という学問で、若くして、大学の教授になる。
梅毒に罹り、療養地を転々とする。その間に、多数の作品を著す。
代表作は「ツァラトゥストラかく語りき」である。
ヨーロッパ人の精神の根底的な支えとなっているプラトン主義とキリスト経を徹底的に批判する。(「アンチ・キリスト」などの著書)
ニーチェ哲学の根幹は、「永劫回帰」、「力への意志」、「超人」などの思想。
「人間はサルから超人への架け橋である」(進化論的な意味ではない)
「世界は昼が考えたよりもさらに深い」(原典より)
「私が理解されるのは、二十世紀後半を待たなくてはならない」
望みを託して、十九世紀、最後の年、病気に依る発狂の後、20世紀の初日に没する。
「自由な精神世界」を持てること。人間にとって最も必要なことだと思う。
二十五年間、独房に入れられ、釈放された後、南アフリカ共和国の大統領になった、ネルソン・マンデラ氏。
アウシュビッツで生き残った人々。彼らの精神には、常に「希望」があった。
それを奪うことは何者にも出来ない。
いかなる権力、全知全能の神でさえも(観念的存在であれ、あるいは実在であれ)。
実社会の不条理をいかに脚色して、物語の世界に読者を引き込むかということがポイント。
波打つ文章のリズム、オリジナルな比喩、ストーリー展開の意外性、琴線に触れる会話、
カタリシスの涙、千年後の世界でも取り上げられる普遍的なテーマ。不合理な存在形式。
深海の底にある岩陰に、じっと身を潜めている意味不明の何者かが動き出す。地上で異変が起こり始める。
新しく、新鮮な文体と独自の世界観を創造すること。
創造と言っても、既成のものから造られるのが一般的。
ロックもヨーロッパのフォーク(民謡)とアフリカン・アメリカンのリズムから生まれた。
民主主義もギリシャ文明に源を発している。
私の文体は、ほとんどジャック・ロンドンから影響を受けている。
さらに、多数の作家の作品を読んで、彼らの文体を脳にある壺に入れる。
その混合液から、独自の文体がじっくりと発酵していく。
新しい乳(new)酸菌を創り出すのだ。読むことで吸収され、脳内で繁殖する。
活性化した脳には、次々と遠近法を作り出す活力がみなぎってくる。
新しい世界が姿を現す。無数の世界が、生成と消滅を繰り返す。
人間に取って、健康的で、新しいカルチャーを生み出す、より生産的な世界だけが生き残るのだ。
文学はトルストイとドフトエスキーから、進歩していないと、春樹は言う。
世界を救うのは、あらゆる形の愛である。想像力の欠如が、エゴイズムの原因だと語る。
人類の救済をテーマにすれば、肩の力が抜け、気持ちが楽になる。理想主義だ。
簡単にはいかないのが人間社会の常。現実はエゴで満ち溢れ、葛藤から文学が生まれる。
「走れ、メロス」の王様みたいではないか。最後の場面は、太宰の一時的な精神の高揚である。
太宰が白樺派(性善説の作家たち)である訳がない。
自ら、命を絶つ作家も少なくない。
文学と真剣に向かい合うには、強靭な精神力と体力が必要なのだ。
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