カンザスの麦畑

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カンザスの麦畑

(その1)カーネル村 この物語は、十八世紀のアメリカ中部のある村を舞台として始まる。カンザスシティーの南方にあるカーネル村一帯は、小麦と綿花の産地である全部で四十世帯。人口が百二十人の小さい村である。 カンザスシティとの間に、エリコという町がある。カーネルの村人は、村で手に入らない生活品をエリコでまとめて購入する。 カーネルには村長(むらおさ)がいる。自分の綿花畑を持ちながら、何か問題が起こった時、村人を集めて話し合う役職だ。手当ては無いが、収穫のとき、村人が手伝って報いている。 マイケル・アンダーソンは小麦農家である。中背、筋肉質でがっしりしている。無学だが、地道に黙々と己の人生を築いている。父はアイルランドから移住して来た。アイルランド人は、ほとんどカトリック教徒である。 三年前に妻を病気で亡くし、十三歳の息子のジョニーと二人暮らしである。それ以来、土曜日にビール一本だった酒を毎晩飲み始めた。ビールを二本。仕事から帰った時と食事の時だ。  仕事が休みの日曜日は、ワインを夕食前から飲み始める。一本、空にしたときは、ソファーで眠っている。ジョニーが毛布を掛けてあげるのが習慣となっている。 1章(その2)おせっかいなケイリー 近くに綿花を栽培しているケイリー・ワトソンが住んでいる。先祖がイングランドの貴族だと自慢しているが、あてにならない。イングランド人はプロテスタントの清教徒である。体付きはほっそりして、背が高い。綿のように軽い話し方をする。他人のことに干渉することが趣味である。本人は相手のためだと思っている。 三年前、悪性の風邪で妻を亡くした。今年十四歳の一人娘、ローザも罹ったが、持ちこたえ、回復した。 ケイリーは酒を飲めないが、一日、一箱くらいタバコを吸う。毎週土曜日の晩に訪れて、同じことを言う。 「マイケル、飲み過ぎは体によくないよ」「たったビール二本さ」 「毎日はよくないよ。週一日に抑えないと」 「週に、一日だって」 「奥さんを亡くした辛さは分かるが、それは私も同じだよ」 ケイリーは、生前の妻にいつも、この平民女めと怒鳴っていた。 「だから、あんたはタバコを一日、一箱も吸っている訳かい」 「タバコは私の体質に合っているんだよ。それに、タバコの煙は肺の中の菌やウイルスを殺し、むしろ、体に良いという学説も出てい るくらいなんだよ」 「フン。そのうち、アヘンも健康に良いって言い始めるぜ」 「私が、家族の中で、あの風邪に罹(かか)らなかったのは、タバコのおかげなんだよ。」 「俺とジョニーが、罹らなかったのはどういう訳だ」 「それは、偶然というもんだよ」 「分かった、もういい。もう寝るから、帰ってくれ」 「君のためを思って忠告しているんだよ」  マイケルはさっさと寝室に入ってベッドにもぐりこんだ。 ジョニーに矛先が向けられる。 「ジョニー、やはり、人参とアスパラは食べていないのかい」 「うん。だけど、他の野菜はちゃんと食べてるよ」 「好き嫌いは、いけないよ」 「でも・・」 ケイリーが帰ると、寝室に向かった。「パパ、起きている」 「何だ、どうした」 「あのおじさん、嫌だ。僕が大嫌いな人参とアスパラを食べろとしつこいんだ」 「安心しろ。今にあいつの口に、あいつの畑 の綿花を突っ込んで黙らせてやる」         2章(ローザとジョニー) 村には、プロテスタント系の教会があった。村人の三割は、カトリックである。エリコには、カトリック系の教会もあったが、村からは遠い。クリスマス以外の日曜日は、村の教会に行った。 牧師のアハブはイングランド系だった。四十過ぎの太ったチビである。顔はいつも脂ぎって、頭はスキンヘッドである。 日曜日の礼拝に行くとき、ケイリーは、マイケルがアル中だと言いふらしていた。マイケルは、皆が目を背け、こそこそ話している理由が分からなかった。 ある日、アハブに懺悔室に呼ばれて、こう言われた。 「マイケル、あなたは悪魔に取り付かれています」 「何のことだ」 「毎晩、お酒を飲んでいるそうですね」 「そういう奴は他にも、たくさんいる」 「あなたの場合は、奥様が死んだ悲しみ、虚しさを紛らわすために、アルコールに走っているのです。悪魔は人間の弱い心を突いて来ます。奥様は天国で安らかに暮らしていますよ。人間の宿命は、生まれた時から決まっているのです。全ては、神の見計らいなのです」 「それで」 「主は安息日の日曜日だけは、お許しになるでしょう。それも、三位一体を意味するワインのグラス三杯だけです。ワインは我らが主、イエス様の血です。飲む前に、お祈りを欠かさないように」 「言う通りにしますよ」 次の週から、マイケルは教会に行かなくなった。それどころか、ビールが一日、三本、日曜のワインは二本に増えた。 アハブは嘘つきだ。あいつこそ、悪魔に取り付かれているにちがいない。三年前の悪性の風邪で、女房のスザンナは死んだ。ベッドで熱を出して、ウン、ウン唸っていた。三日後には、冷たくなっていた。 その翌日、ケイリーの妻も死に、死者は日増しに増えていった。 町から来た医者もお手上げだった。その間、あのペテン師野郎は祈祷を行い、神に救いを求めた。 「主よ、天にまします我らが父よ。どうか我らを救いたまえ。サタンの呪いから我らを守りたまえ」死者は増える一方だった。 自分のことをアル中と言いふらしたのはケイリーだと分かった。ローザがジョニーに漏らしたのだ。 月水金の午前中、教会で、シスターが英語と数学を村の子供たちに教えている。他の子供たちと会えるのは、そのときだけだ。特に仲のよい友達はいなかった。二人とも社交的な性格ではない。 ローザはそばかすだらけで、赤毛、青い瞳、のっぽで、がりがりに痩せている。ジョニーはアイルランド人特有の黒髪、褐色の瞳、小柄である。 ときどき、遠くを見るような目付きで、何かを考えている。 ローザとジョニーの関係は微妙である。ローザは英語のスペルをよく間違え、数学はからっきしである。テストの成績が悪いとき、父親から夕食を抜かれた。 お前みたいな出来損ないは、貴族を先祖に持つワトソン家の恥さらしだと罵られた。 ジョニーは二教科ともテストでよく満点を取っている。ローザは、貴族の子孫だという父親の話をまともに信じている。プライドだけは人一倍強い。 粗野で下品なアイルランド人の末裔であるジョニーを見下している。 憎悪に満ちた鈍い光を、ときおり、青い瞳から放つ。ジョニーは、ローザが十七歳になったら、サタンに導かれて魔女になり、教会の地下牢に閉じ込められると思っている。 イングランドとアイルランドは、昔から領土を巡って紛争を繰り返して、お互いに怨念を持っていた。新大陸に移住して来ても、旧大陸での確執が、子どもたちの間にも陰影を深く残している。 お互いに軽蔑と悪意を感じながらも、閑なときは、いつもの大きな楓(かえで)の木の下で話している。自分たちの父親を除いて、知っている大人の悪口をしゃべり続けていた。 この世に、ローザ以上のおしゃべり女はいないとジョニーは思う。 おしゃべりに飽きて家路をたどるとき、虚しさが込み上げ、気が滅入ってくる。あの女の救い主のサタンの教書には「汝の隣人を憎悪せよ」という言葉が載っているに違いない。「あのバカ女に会うのはもう止めよ
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