高雄の父の誘い

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 高雄の父親は、まもなく、コンビニを出て行った…  なにも、買わずに、出て行くのは、おかしいと思ったのか、2、3の商品を買って、出て行った…  私は、それを横目で、見ていた…  ずばり、誰にもわかる感じで、見ていたのではなく、それとなく、見ていた…  だから、誰にも気づかれない…  私自身は、そう思っていた…  だが、そうではなかった…  店長の葉山は気付いていた…  私が、横目で、高雄の父親が、コンビニを出て行くのを、見届けたのと、ほぼ同時に、  「…今のお客さん…竹下さんの知り合い?…」  と、いつのまにか、私の隣で、店長の葉山がポツリと呟いた…  私は、一瞬、どうして、いいか、わからなかった…  だから、  「…」  と、答えなかった…  沈黙した…  だが、それが、むしろ、肯定したというか、私が、高雄の父親と、知り合いだと、認めたことになった…  少なくとも、葉山は、そう思ったに違いない…  これは、しまったと、思った…  沈黙することが、知り合いだと、認めることになるとは、思わなかったからだ…  だが、葉山の発した言葉は、意外だった…  「…竹下さん…あのお客さん…堅気じゃないね…」  と、ポツリと呟いたのには、驚いた…  まさか、葉山の口から、そんな言葉が出てくるとは、思わなかったからだ…  私は、つい、  「…どうして、そう思うんですか?…」  と、聞いてしまった…  本当は、こんなことを聞くのは、私が、高雄の父親と、知り合いだと認めてしまった後なので、まずいとは思ったが、聞かずには、いられなかった…  「…うん、簡単だよ…」  葉山が答える。  「…ボクも、昔、ヤクザの事務所が、近くにある、大きな繁華街で、店を任されていたことがあってね…ヤクザの匂いと言うか…どんな格好をしていても、その匂いを嗅ぎ分けられるようになったというか…」  それだけ、言うと、葉山は私から、離れた…  そして、それ以上、私に、高雄の父親との関係を聞かなかった…  あるいは、私が、ヤクザと関わっていると知って、距離を置こうとしたのかもしれない…  下手に、ヤクザが知り合いにいる、と知って、これ以上、関わらないというか、下手にその話題に突っ込まない方が、得策と判断したのかもしれない…  あるいは、単純に、所詮、他人事なのだから、これ以上、この話題を避けるべきと、考えたのかもしれない…  ただ、この一件でわかったのは、葉山が、思った以上に鋭いというか、ひとを見る目があるというか…  それが、驚きだったし、正直な感想だった…  ただのニコニコした中年のオヤジではない…  私はあらためて、葉山をそう感じた…  以前にも、葉山に関しては、ただのニコニコした中年のオヤジではないと思ったことがあると、書いた…  店の中では、いつもニコニコと笑顔を絶やさない姿だったが、店の外で偶然見かけた葉山は、笑顔もまるでない、仏頂面に近かった…  その姿を見たことで、私は、店の中での葉山の姿は、ただの営業スマイルに過ぎないことを知った…  そして、今また、葉山は、高雄の父親の姿を見て、  「…堅気じゃないね…」  と、即座に見抜く眼力を見せた…  正直、油断できない…  それが、葉山に関する偽らざる感想というか、評価だった…  あらためて、それがわかった瞬間でもあった…  だが、それも束の間…  私は、コンビニで、レジ打ちや、その他、諸々の業務で、忙しく、これ以上、葉山について、考えることはできなかった…  そして、気ぜわしく、急ぎまわる中で、いつしか、葉山のことも、高雄の父親のことも、考えることはなくなった…  ちょうど、この店にやって来たときに、遅刻しまいと、全力で、走っていたときと同じだった…  全力で疾走する…  全力で、コンビニで、働く…  つまり、全力で、なにかに打ち込むことによって、他のなにか、別のことを考える余裕は、一切なくなった…  そして、これこそが、私の追い求めていた理想というか、環境だった…  なにも、考えることができない環境…  それが、必要だった…  ここ数日、高雄のことや、林のこと、その他諸々、色々なことを考え過ぎた結果、私は、無意識になにも考えない環境を追い求めていた…  それが、幸か不幸か、今、手に入った…  私は、今、それに気付いた(笑)…  私が、バイトを終えて、コンビニから出たときは、当然ながら、夜も更けて、辺りも暗くなっていた…  結構、クタクタになった…  それが、正直な感想だった…  だが、私は、それが心地よかった…  むしろ、充実感を感じていた…  率直に言って、いつもよりも、夢中になって、仕事に励んだ…  いつも手を抜いているわけではないが、今日は、本気になったと言うか…  マラソンに例えれば、普通は、体力を考えて、走るものだが、今日に限っては、まるで、400メートル走を走るように、全力で走った…  ペース配分など、考えずに、無我夢中で、働いたということだ…  だから、疲れた…  なにも、考えずに、仕事に打ち込むことで、高雄のことも、林のことも、なにもかも忘れることができた…  それが、実に、爽快だった…  爽快そのものだったのだ…  だから、  「…竹下さん…」  と、いきなり声をかけられたのには、驚いた…  一瞬、自分が、声をかけられたのが、わからなかった…  まして、今は夜…  周囲は、暗闇だ…  だから、余計に、気付かなかった…  バイト帰りに、誰かに声をかけられた経験など、これまで、一度もなかった…  「…竹下さん…」  もう一度、誰かが、私の名前を呼ぶ声がして、私は、ようやく誰かが、私を呼んだことに、気付いた…  私は、声をした方向を振り向く。  すらりとした、長身の男が立っていた…  暗闇で、一瞬、誰だか、わからなかったが、よく見ると、それが、さっき、コンビニで会った、高雄の父親であることがわかった…  「…高雄さんのお父さん…」  私は、声に出して、言った…  私の呼びかけに、高雄の父親は、無言で、頭を下げた。  私は、驚いた…  まさか、高雄の父親が、私が、コンビニのバイトが終わるまで、私を待っていたとは、思わなかったからだ…  当然だ…  例え、息子の交際中の彼女でも、大の大人が、三時間も四時間も、外で待っていているとは、想像もできない…  まして、相手は、ヤクザの大物組長…  とても、そんな真似をする人間とは、思えない…  「…私を待っていたんですか?…」  聞かねばいいものを、私は、聞いてしまった…  思えば、これも私の若さなのかもしれない…  若さゆえの過ちなのかもしれない(笑)…  「…ハイ…お嬢さんをお待ちしてました…」  高雄の父親は、またも私に向かって、深々とお辞儀をして、言った…  私は、どう答えていいか、わからなかった…  誰でも、そうだろう…  仮に、相手が、ヤクザの大物組長でなくても、自分の父親ぐらいの年齢の大人が、自分を三時間も四時間も、待っていたとしたら、どう対応していいか、わからないに決まっている…  だから、私は、  「…」  と、黙った…  どう答えていいか、わからない…  どう対応していいか、わからない…  …困った!…  それが、偽らざる気持ちだった…  それが、わかったのだろう…  高雄の父が、  「…お嬢さんを、困らせたのなら、申し訳ない…」  と、言って、また頭を下げた…  ヤクザの大物組長が、この竹下クミに何度も頭を下げる…  ありえない光景だった…  もはや、どうしていいか、わからない…  どう対応していいか、わからなかった…  文字通り、固まった…  私のカラダが固まった…  そして、ガチガチに固まった私に、  「…お嬢さん…これから、私に少しばかり、お時間を頂けませんか?…」  と、これも、丁寧に、高雄の父親が言った…  私は、どうして、いいか、わからなかった…  文字通り、どうして、いいか、わからなかった…  「…いえ、お嬢さんに、なにか、よからぬことをするわけではありません…」  高雄の父親が、軽く笑みを浮かべながら、言った…  しかし、その笑みは固かった…  というか、無理に笑顔を浮かべている様子だった…  自分の娘ぐらいの年齢の私に、本当は、どう対応していいか、わからなかったに違いない…  戸惑ったに違いない…  私は、そう考えた…  「…この通り、クルマも用意してあります…」  「…クルマ?…」  そのとき、初めて、高雄の背後に、大きなクルマがあることに気付いた…  …このクルマの中で、私を待っていたんだ!…  そんな当たり前のことに、今さらながら、気付いた…  三時間も四時間も、暗闇の中、外で、立って待っていることは、ありえない…  まして、相手は、大物組長だ…  当然、クルマに乗って待っていたと考えるのが、普通というか、当たり前だ…  「…このクルマに乗って、お嬢さんと少しお話したいのです…」  高雄の父親が、言った。  やはり、というか、その言葉を発したときは、これまで以上に、表情が強張っていた…  私が、どうして、いいか、わからず、  「…」  と、なにも言わずに戸惑っていると、  「…別に、お嬢さんを取って食おうとしているわけではありません…」  と、丁寧な口調で、高雄の父親が語る。  「…それは、ご安心下さい…それに、はばかりながら、この私も、少しばかりですが、同じ業界で、名が知れています…ですから、仮に、お嬢さんのような年齢の女性に、なにか手を出すような真似でもしたら、いい恥さらしというか、笑いものです…」  高雄の父親が、真顔で言う…  私は、少し悩んだが、その言葉を信じた…  なにより、高雄の父親は、高雄組組長…  大物ヤクザだ…  その大物ヤクザが、私のような、平凡な小娘を拉致して、どうにか、することは、あるまい…  まして、ヤクザは、なにより、面子を優先するというではないか?…  面子=プライドに他ならない…  私は以前も言ったが、そこそこの美人…  決して、ブスではない…  これは、自信を持って、断言できる(笑)…  だが、果たして、今、眼前にいる、大物ヤクザ…  高雄の父である、高雄組組長が、自分の面子を捨てて、私をどうにかしたいと考えるとなると、話は別だ…  普通に、考えて、ありえない…  それは、ありえない…  私自身、コンビニで、バイトしていて、私以上の美人に数え切れないほど、出会ったことがある…  見たことがある…  そして、稀に、ごく稀に、  …世の中には、こんなキレイな女(ひと)がいるんだ!…  と、ビックリするほどの、美人を見たこともある…  これは、本当に稀…  ごく稀だ…  そんな経験がある、私だから、余計に、自分自身の価値がわかるというか(笑)…  少なくとも、眼前の高雄組組長が、自分の面子を捨てて、私を、どうにか、するとは、どうしても思えない(笑)…  私に魅力がまったくないと考えるのは、さすがにないが、高雄組組長の面子を捨てて、私を、どうこうするとは、とても思えない…  ずばり、私はそれほどの女じゃないからだ(苦笑)…  と、そこまで、考えて、  「…わかりました…」  と、答えた。  「…少しの時間でしたら…」  「…ありがとうございます…」  高雄の父親が、長身を折って、私に頭を下げた。  「…では…」  と、言って、高雄の父親が、自分の近くに停めた、大きなクルマの後部座席のドアを開けた…  「…お嬢さん…お乗り下さい…」  と、これも、私に向かって、丁寧に頭を下げて言った…  …そんな大げさな…  …これでは、まるで、どこかの国のお姫様みたいだ…  私は内心、思った…  思いながらも、当然、悪い気はしなかった…  自分が、こんなふうに、丁重に扱われる経験はかつて、なかった…  これから先もないだろう(笑)…  そう考えると、どこか笑えてきた…  すると、してはいけないことだが、表情がニヤついたというか…  「…お嬢さん…なにか、おかしなことでも?…」  と、高雄の父親が訊いた…  私の表情に気付いたのだ…  私は、しばし、悩んだが、  「…なにか、こんなことをされると、自分が、どこかの国のお姫さまか、なにかになった気がして、それがおかしくて…」  「…お姫様になった気分?…」  私の言葉に、明らかに、高雄の父親は、面食らった様子だった…  が、それも束の間、すぐに、表情が和んだ…  まるで、私を誘う緊張が解けたように、高雄の父親の表情が緩んだ…  「…素直なお嬢さんだ…」  高雄の父が言う。  「…実は、私も、お嬢さんのような、若い娘さんに、こんな真似をするのは、初めてです…」  と、言って笑った…  「…お互い初めての経験で、安心しました…」  「…安心…ですか?…」  「…ハイ…安心です…」  高雄の父が、ホッとした表情で、言う。  その言葉にウソはないのだろう…  文字通り、ホッとした表情だった…  私自身、そんな高雄の父の表情を見たことで、安心した…  高雄組組長の誘うクルマに乗ることに、抵抗がなくなった…  私は安心して、高雄の父の誘うクルマに乗った…                 <続く>
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