渡し守の物語

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渡し守の物語

 小屋の戸を開けたら、あたりは霧まみれだった。  いつもの朝だ。  俺は舌打ちして、一旦戸を閉めた。  今朝は気分がささくれているというのに、霧を見るだけで更にどんより暗くなるようだ。  朝日が差さず、小屋──と言う名の家の中は夜のように暗い。自分の手元さえいまいちよくわからない。蝋燭は貴重だから安易に使わない。  この地方特有の謎の霧は、昼間になるまで深く立ち込めている。不便極まりないというのに、最初からこの地に生まれた奴らはそれを当たり前としているから、慣れてしまっているのだという。  元々よそ者の俺は、大人になっても未だに慣れない。  だが俺は生来気配を感じるのが得意で、"来客"の接近を鋭く察知することができる。これが暮らしでも役立つのだ。俺を軽蔑してる村の連中すら、この能力を認めている。  俺はぴりりと気配を感じて、唇をつり上げ、外へと出た。  商売(・・)の時間だ。  見遣る方には森があり、そちらから足音が近づいてくる。 「ふたり、だな」  俺は足音だけで何人が来るかもわかる。  乳色の霧のなかに、人影の輪郭が曖昧な線を持って浮かび上がる。  やがて霧を破るように、マントで身を包んだふたりの人間が現れた。  俺は顔をしかめた。  なんせ先頭の方の人間が、最初は、捉えどころがない印象を受けたのだ。  亜麻色の長い髪だから女だとわかるのに、顔だけをじっと見ると男にも見えてくる。女にしては背が高いから、これまた全体的に見るとやはり男にも見える。  だが尋ねてくる声は女のものだ。 「あなたが、ここの河の渡し守ですか?」  女の大きな黒い瞳と、目が合った。
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