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Scene09
岩場から離れて、孤島が遠くなっていく。
そしてその全貌が見渡せるころだった。
ぽつり、ぽつり、と、雨が降り始めた。
もっと進むにつれ、雨は激しくなり、海は酷く荒れ、雷が鳴りだす。
このまま進んで、途中で漁船に落ち合うことになっているのだが、果して、こんな天候で漁船が出るだろうか。
そう、不安に思いながら、七砂の髪を撫でる。
七砂は、こんな天候なのに、まるで不安を感じていないかのように。
夢を見てるみたいな瞳で、酷く、嬉しそうに言った。
「あそこから、逃げ出せるなんて嘘みたい。ずっと、あの場所で悲しい日が続くんだと思ってた。」
美しい貌でそんな風に。
そして、一瞬だけ瞳を輝かせて、続けた言葉は。
「このまま例え死んでも、海の泡になっても、後悔はないよ。」
死を覚悟した、ものだった。
だから、静かに、ゆっくりと言葉を返す。
「俺もだ…。オマエと共に泡になるなら、それもいい。」
そこで、言葉を切って。今度は力強く言う。
「…なんて、言うと思うか?
そんなの、絶対にダメだ。
俺たちは生きる。そのために、逃げるんだ。
だから、頼む。二度と、そんなこと言わないでくれ。」
そんな俺の言葉に、七砂は。人魚は。
無垢で、透き通る笑みを。
幻想的なまでに美しい笑みを浮かべ、そっと俺の腕にすり寄った。
そんな七砂が何処か遠くへ行ってしまいそうで。
今にも、消えてしまいそうで。
水の、泡のように、消えてしまいそうで。
この腕にしっかり抱きしめようと手を伸ばした時だった。
「!?」
ぐら、と船が大きく揺れた。
一瞬だった。
高い波が目の前に立ちふさがり、ボートを呑んだ。
二人は瞬時に海の中に投げ出されて。
青い青い冷たい水の中、投げ出されて。
間が悪く、俺は大量に水を飲んで。
投げ出された衝撃で身体も強く打って。
指を動かすことすら困難になり。
それでも薄れていく意識の中、七砂を探そうと、もがいた。
と、白い何かが、キラキラと光る泡に包まれて、沈んでいくのが見えた。
それは、俺の横を通り過ぎ、更に、深海へ。
下へ下へ、沈んでゆく。
赤い髪、白い肌。美しい、人魚姫。
俺の愛した、唯一人の。
『人魚は、泡に…』
キラキラ輝く泡と七砂。
その光景を、酷く美しいと思いながら、脳裏にはそんな言葉が浮かんだ。
森で出会った愛しい人魚は、海に還る。それが、定め。
それでも。
それでも。
共に、と願ったならば。
抗う。
この、運命に。
全身の残った力と、気力を振り絞って拳を握る。
下へ。
俺も、下へ。
七砂のところまで行ってみせる。
救い出してみせる。
海になど、還すものか。
例えそれが運命でも。
朦朧とする意識を叱咤して、激痛を排して、
海の底へ、底へ。
腕を伸ばす。
伸ばした先、掴んだ、と思った感触は、夢か、現実か。
確認できぬまま、俺は。
完全に、意識を失ったのだった。
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