4人が本棚に入れています
本棚に追加
Scene10
鳥の声。遠くで響く潮騒。木々を揺らす、風の音。
時間が経っても少しも変わることのない、美しくて無垢な、永久のGREEN。
この森は、否応なく七砂の存在を思い出させる。
長く続いた陰惨な記憶も。
ほんの瞬きほどの、けれど鮮烈な幸福だった記憶も。
あれからもう、五年。
隣にいるはずの七砂は、此処にはいない。
あの時、七砂をこの手に掴んだと思った瞬間、俺は意識を手放した。数時間後に、手配していた漁船に助け出された。
本土の病院のベッドで意識を取り戻した俺に、あんな嵐の中助かったのは奇跡だと、船乗りたちは口ぐちに幸運を讃えた。
けれど、七砂のことを尋ねると、皆口をつぐんで、憐みと同情の目を俺に向けた。
埒が明かない。この腕で助け出さなければ。
まだ、七砂は海の中で苦しんでいるかもしれない。
船乗りたちが止めるのも聞かず、病院の外まで出た俺は、あまりの眩しさに立ちくらんだ。
外は、先ほどの嵐が信じられないほど、晴れていた。
これなら、七砂を捜索できるはず、と期待を持った瞬間だった。船乗りの一人に告げられた。
あの嵐の日から、既に一か月が経っていること。
高野から、落ち合う人数は二人と聞かされていた船乗りたちは、一通りの捜索をしてくれたこと。
それでも、七砂らしい人物は、発見できなかったこと。
そうして。
一か月も発見できなければ、間違いなく命はない、と。
やんわりと、言葉を選んで俺に伝えた。
絶望に、一瞬足元が竦んだ俺は。
けれど、まだ、島に打ち上げられた可能性がある、と思い、病院から高野に電話をかけようとした。
すると、船乗りは。俺の手を止めて、こう告げた。
「アンタが助け出されてから数日後に、食材の運搬にあの島に本土のものが降りてね。何時まで経っても受け取り人が現れないから、不審に思って屋敷に向かったんだ。そこで、あの島にいた人間が、ことごとく死体になって転がっているのを、見つけたそうだ。
アンタなら知ってると思うが……あの島には、鍾乳洞があるだろう。そこから、有毒ガスが出て、ほんの一晩か二晩で、島の人間を皆殺しにしてしまったんだ。」
俺は、あまりのショックに立っていることも叶わず、がくり、と膝をついた。
それでは。
それでは。
例え島に打ち上げられたとしても、七砂は……毒ガスで……
海の飲まれても、島に打ち上げられても、どちらにせよ七砂は死んでいる。
何が何でも助けたい、そう思った愛しい人魚は、やはり、消滅する運命だったのだ……。
どんな運命にも抗う、そのつもりだった。
助けられる、そう思った。
………けれど。
一瞬、脳裏に浮かんだ七砂は。
幻想的な笑みを浮かべ。
「このまま死んでも、後悔はないよ。」
そう、囁いた。
ああ、彼は、きっと。
きっと分かっていたのだ。
自分が、ここで命を落とすことを。
すう、と頬を涙が伝った。
七砂を失った悲しみが、急激に押し寄せた。
そうして俺は、その場に崩れ落ち、深い、深い、痛みと哀しみに、何時までも。
無力な涙を流し続けた。
最初のコメントを投稿しよう!