Scene10

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Scene10

鳥の声。遠くで響く潮騒。木々を揺らす、風の音。 時間が経っても少しも変わることのない、美しくて無垢な、永久のGREEN。 この森は、否応なく七砂の存在を思い出させる。 長く続いた陰惨な記憶も。 ほんの瞬きほどの、けれど鮮烈な幸福だった記憶も。 あれからもう、五年。 隣にいるはずの七砂は、此処にはいない。 あの時、七砂をこの手に掴んだと思った瞬間、俺は意識を手放した。数時間後に、手配していた漁船に助け出された。 本土の病院のベッドで意識を取り戻した俺に、あんな嵐の中助かったのは奇跡だと、船乗りたちは口ぐちに幸運を讃えた。 けれど、七砂のことを尋ねると、皆口をつぐんで、憐みと同情の目を俺に向けた。 埒が明かない。この腕で助け出さなければ。 まだ、七砂は海の中で苦しんでいるかもしれない。 船乗りたちが止めるのも聞かず、病院の外まで出た俺は、あまりの眩しさに立ちくらんだ。 外は、先ほどの嵐が信じられないほど、晴れていた。 これなら、七砂を捜索できるはず、と期待を持った瞬間だった。船乗りの一人に告げられた。 あの嵐の日から、既に一か月が経っていること。 高野から、落ち合う人数は二人と聞かされていた船乗りたちは、一通りの捜索をしてくれたこと。 それでも、七砂らしい人物は、発見できなかったこと。 そうして。 一か月も発見できなければ、間違いなく命はない、と。 やんわりと、言葉を選んで俺に伝えた。 絶望に、一瞬足元が竦んだ俺は。 けれど、まだ、島に打ち上げられた可能性がある、と思い、病院から高野に電話をかけようとした。 すると、船乗りは。俺の手を止めて、こう告げた。 「アンタが助け出されてから数日後に、食材の運搬にあの島に本土のものが降りてね。何時まで経っても受け取り人が現れないから、不審に思って屋敷に向かったんだ。そこで、あの島にいた人間が、ことごとく死体になって転がっているのを、見つけたそうだ。 アンタなら知ってると思うが……あの島には、鍾乳洞があるだろう。そこから、有毒ガスが出て、ほんの一晩か二晩で、島の人間を皆殺しにしてしまったんだ。」 俺は、あまりのショックに立っていることも叶わず、がくり、と膝をついた。 それでは。 それでは。 例え島に打ち上げられたとしても、七砂は……毒ガスで…… 海の飲まれても、島に打ち上げられても、どちらにせよ七砂は死んでいる。 何が何でも助けたい、そう思った愛しい人魚は、やはり、消滅する運命だったのだ……。 どんな運命にも抗う、そのつもりだった。 助けられる、そう思った。 ………けれど。 一瞬、脳裏に浮かんだ七砂は。 幻想的な笑みを浮かべ。 「このまま死んでも、後悔はないよ。」 そう、囁いた。 ああ、彼は、きっと。 きっと分かっていたのだ。 自分が、ここで命を落とすことを。 すう、と頬を涙が伝った。 七砂を失った悲しみが、急激に押し寄せた。 そうして俺は、その場に崩れ落ち、深い、深い、痛みと哀しみに、何時までも。 無力な涙を流し続けた。
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